7月末久し振りに久我山の教室を訪れました。

梅雨明け宣言がされていませんでしたが、澄みきった青空のもと教室の近くの民家には夏を彩る百日紅(さるすべり)の花が昼下がりの炎暑に爽やかな風を送ってくれました。

私が部屋に入ったときには、相撲の話題が出ていたようで、「琴欧州」(?)という “しこな”の余韻がどなたのかの口端に残っていました。

月末の暑いさなかですから何時もより少し少ないようでしたが、相変わらず明るい雰囲気でした。障害としては重度の方々が多いのですが、ボランティアの皆さまもご家族の方もそれなりに同化され異化感を感じないのがこの教室の何時もの空気でした。

 今回、遠藤先生はお話の合間に“トゥリー・チャイム”という可愛い楽器を使用しておりました。それがとても涼しげな音色で特に「たなばたさま」の歌では会場を一層明るい照明になっていました。

 
  たなばたさま 

 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎん砂子

 続いて「」、「夏の思い出」、「うみ」と何時もの田沢容子先生のピアノ伴奏で歌いました。
 「夏の思い出」では、歌詞の後半の部分を題材としていました。

   …
夢見て匂っている 水の辺り
まなこつぶれば 懐かしい
はるかな尾瀬 遠い空

 介添えの方から問いかけます。

 「鈴木さん、鈴木さんに伺いますが鈴木さんの何処に夏の思い出は甦って来るでしょうか。」
 「まなこ」、
 「今日は元気ね、素晴らしい」

 恐らく一度でもそのような場面をご覧になった方は遠藤先生と会員の交流が彷彿されるでしょう。
 「馬場さんの郷里は群馬県ですが一度も尾瀬に登ったことがなかったのです。何しろ企業戦士として忙しく登る時間がなかったと仰っていますよ」等、
時々介添えの方から解説が挿入されます。
 “企業戦士”は高度成長を支えた牽引車として功績があり、引退後は平穏な余生を送っておられる方々にはノスタイジア(郷愁);(nostalgia)の響きがありますが、残念ながら中途障害者、なかでも重度失語症者には人生の悲哀を感じるのは私のみでしょうか…。
 馬場さんに敬服しつつわが身を考えました。

 
 続いて「汽車」、「うみ」を詠いました。

 汽車 : 「汽車の音をいってみましょうね」
       「シュッポシュッポ」、…、「シュッポシュッポ.ピー」
      「宮さんの汽車は汽笛を鳴らしているよ」

 うみ : うみはひろいな
      おおいきな
      ゆれてどこまで
      つづくやら

 また、何時ものように、発音の基本としての、皆で会員のお名前を呼び、それに呼応して「ハーイ」と応えました。そして、「おはよう」、「こんには」、「ヤホー」、「ありがとう」(感謝の言葉)を確認しました。

 また、今回は学生さんの麻生紗代さんが締太鼓の演奏をされ、渋江さんのリラックス体操の指導が行われました。




 脳血管障害による重度の言語障害は、その原因が脳の損傷、それもその広い部位の欠落に起因するので、薬治療や外科的対応が極めて限られている現状では、回復には予後のリハビリテーションに過酷な条件が課せられます。当然、当事者はもとよりご家族の方も試行錯誤を繰り返しながら、この試練に耐えていますが如何なる努力もその注がれる意欲と労力に比して結実はあまりにもは微々たるものです。
 
また、長い時間を要します。
 
何より、それには献身的なよき理解者が必要です。

 そのような願いがこの教室にはあるものと思っております。

 「人生には越えなければならない坂がある、登り坂、下り坂、そして“まさかの坂”…」
 遠藤先生は日頃から仰っておれます。

 予後の活動は各自様々な経過を辿ります。ですから、一度は此方にお出でになって楽しい歌を歌ってみるのも一つの選択だと思っています。

 また、ご家族には示唆に富む経験になると思っています。

                      ……………………………………………………

 「一隅を照らすもの、これ即ち国宝なり

 嘗て比叡山を訪れたときと僧侶の説教を受けている高校生たちに遇いました。延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという「不滅の法灯」とそれに纏わる講話に行儀正しく神妙に耳を傾けていました。

 秋の午後薄暮の堂内は厳粛でした。

 聴衆の対応が余程気に入ったようで、僧侶は、『最澄が当時の奈良の僧綱支配から脱し、比叡山に独立した大乗戒壇の建立を願って桓武天皇に上程した「山家学生式」の中に出てくる言葉』のお話をされました。

 「国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて、国宝となす。ゆえに古人いわく、径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これ即ち国宝なり」

  …柱の横で流れてくるご説教を拝聴した私には生涯にのこる感動でした。

 私はあり日の感慨を噛みしめながら帰って来ました。




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