お便り7/8/7 | ||||||||||||||||||||||||||||||
失語症の発症まもなくの急性期といわれる時期、初期の回復期と いわれる時期には当事者はもとより家族は不安になります。 それに対応する言語指導の教室があります。今回紹介します。 |
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この会は「久我山ことばの教室」を開設するにあたり12月6日、1月28日、2月25日の体験会を重ね、4月からメンバーとボランティアの登録をし、毎週水曜日に活動をすることになり4月7日に始めました。 『「久我山ことばの教室」運営のあらまし』という表題のあるレジュメを開くと、その中で主催者言語聴覚士遠藤尚志先生は次のことを 言っておられます。 ”1.(対象者と責任者) 「久我山」ことばの教室」はことばの障害をもつ方をメンバーとして、聴覚士( ST )の遠藤尚志が責任を もって企画・ 運営するものです。 メンバーとしては、特に障害の重い方を歓迎いたします。 (中略) 2.(目的) この教室の主な目的は、以下の通りです。 1) ことばの障害をもつメンバーに適した知的な刺激や課題を用意して、「会話」や「交流」や「思考」の機会を提供すること。 2) ふつうの生活者・社会人であるボランティアが、ことがの障害をもつ人の「よき理解者」として育つこと 3) 家族同士の交流を促すこと 3.(方法) 毎週1回水曜日の午後1時30分〜4時に杉並区久我山4丁目の秦様宅に集まり、メンバーとボランティアが それぞれペアーになって、ST遠藤のもとで課題や会話を行います。… (以下省略)” |
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* メンバーとボランティアがそれぞれペアーになり、2人用のデーブルに並んで座ります。遠藤先生の指導により、教室の授業が ・「私は言語聴覚士の遠藤です。ピアノを担当下さる方は田沢容子先生です。ヨーコという字は分かりますか…。(文字について * 歌の合唱(ピアノ伴奏)。 題目は時により変ります。 : 早春賦、春が来た、花、どじょっこだのふなっこだの、春の川、 ・ 「言葉が不自由でも出来ることはいろいろありますね。特に歌は右脳を使いますから…。」 ・ T.”春の来た”(1番から3番まで合唱)。 ・ U.”花” (1番から3番まで合唱)。 ・ V. ”どじょっこだのふなっこだの” (1番から4番まで合唱)。 ・ W. ”朧月夜” (1番から2番まで合唱)。 ・ X. ”春の小川” (1番から2番まで合唱)。 ・ ”メダカの学校” (1番から3番まで合唱)。 * 「さーこれから言葉の練習をしましょう。」 「まず始めに、親指を中に握ってを開き時に1、2、3、4,5,6,7,8,9,10と数えて下さい。」、「介添えの方お願いします。」 ・ 人差し指と中指でピースを作ります。 1.「ハイ」 ・ 「それでは挨拶をしましょう。お名前を呼ばれたら、”はい”と答えて下さい。始めにそれぞれ練習して下さい。」 ・ 「次には、”モー”、と言う言葉を練習をしましょう」 ・ 「”オーイ”、の練習をしましょう。今回は充分言える人もいますから、”オーイ”の後に、”お茶”、と言って下 ・ 「それではここで数を数えましょう。」 ・ 「”ヤッホー”、と言うましょう」。 ・ 「”今日は”」 ・ 「内田さんはこんない素敵な絵葉書をご自分でお作りになるんですよ。」 (何枚かの提示しなから…) そこで、この教室について考えてみたいと思います。 リハビリの環境設定の観点から最後にもう一度、”教室の目的”、を確認します。
04.4.25. |
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久我山ことがばの教室 ボランティア講座(第1回) が遠藤先生により行われました。その講義のうちこの教室に直接係わる部分を抜粋文を表示します。 3.「久我山ことばの教室」の構造面での特徴 1)場所、主催者の独自性(コミュ二ケーション場面の安定性) 2)メンバーの共通性(障害の重い人を中心にしたグループ形成) 3)席の座り方と人間関係の展開の仕方(二人で相対しながら全体を眺める) 4)プログラムの内容が固定してる(全員が無理なく参加でき、しかも各自が一等賞になれる場面を用意する) 5)自由な発想を尊重する気風(ことばよりも考えの豊かさを重視する) |
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なお、以上の「構造面の特徴」でお分かりの通り、この教室は密度の濃密な指導が施されていますので、常時多くのボランティが参加しています。意欲のおありの方はボランティとして参加されたらいかがでしょうか。歓迎されるでしょう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
4月から始まったこの教室も秋を迎えました。11月10日には秦校長先生の柿園で家族会が主催で「柿もぎ会」が催しされました。楽しいひと時でした。 04.11.17. |
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12月15日は水曜日でしたので、予定通り教室は授業がありました。開校以来会員及びスタッフも安定し、家族会も順調に活動を始め、アットホームな雰囲気が定着しているように感じられました。先に、“遅々として進まない言語障害”、“言語の回復はあまりにも緩慢で辛い道程です”、と言いましたが8ヶ月間で具体的に指摘することは難しいのですが、明らかに回復が進んでいることは実感できます。 “主人は水曜日になりとどうも気が重く‥”、と奥さん仰っておられた本橋さんは毎回参加され、スピーチにパートナーとの遣り取りも随分楽になったようで、発言が多くなりました。顔色もその表情も明るくなり赤いセーターを着、パートナーの年齢についての質問に、“28歳(?)”、と余裕を見せていました。何しろ奥さんが以前に益して綺麗になりました。石川さんは毎回ご苦労されている様子は良く分かりますが、回復の兆候は分かります。矢張り明るくなりました。(中略)。 |
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内田かずさんは年齢66歳で3年前球麻痺という病気で言語の発声困難な方です。お父さんを同じ病気で失い遺伝性ではないかと気にしておられました。以前家業として舞扇製造をご主人とご長女で経営しているとのお話を聞いたと事がありましたが、今回のお話によると、「12月に実弟の長男25歳が弟子入り」とのことでほんとに嬉しそうに書いてくれました。内田さんは相手の言うことは全て分かりますが、気道に関係する障害でなかなか発音が大変なので筆談の方が楽なようでその都度書いて見せます。会話訓練のとき、「お汁粉(おしるこ)のお餅をいくつにしますか」、に対して、「5個。でもお餅は食べられないので、白玉の小さいものですが」、と嚥下障害と思われる説明をしておりました。 内田さんと接触のある方は内田さんの見識・教養はよくご存知ですが、構音障害の場合言葉のろれつが回りずらいのでなかなか話の内容を相手が聞き難いことが多く、適当な仲介に恵まれないと会話の印象が薄くなる傾向は避けて通れません。ですから、積極的に参加しておりましたが、残念ですが、ご自分で言われる通り声が小さく、特に高い音程が発音し難いですから、外見では少し迫力に欠けることになりますが、「今月の季節は」と言う質問に、「冬」で充分ですが、内田さんは更に追加質問「一年の季節は?」に答えて、普通は「はる・なつ・あき・ふゆ」と答えますが、内田さんはご自分の言葉を独自に確認しながら「しゅんかしゅうとう」と答えました。 …コミュニケイション障害の重さを肌で感じさせられます。 また、後にご自分の作品をお送り頂きました。 です。 |
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今回、徳永寿美子さんの隣の席に座りました。私が簡単なご挨拶と氏名を言いますと、“私は…”、と氏名と住所をメモ用紙に書いて渡して呉れました。お年をお聞きしましたところ79歳でした。教室に実施の詳細は割愛しますが、今月の歌唱は「たきび」、「お正月」、「故郷」の3曲でした。それぞれの歌を歌った後先生からそれに相応しい問いかけや質問があり、それを受けてパートナーが呼びかけます。「徳永さん、“たきび”では何を燃やしますか?」。「落ち葉、枯れ枝」と徳永さんは答えて呉れました。勿論、「お・ち・ば」と、発音できれば充分ですが、なかなか言葉が出てこない方もおられますし、人によっては、“やきいも(焼芋)”、と言うと、「うむー、××さん、古いラブレターも一緒の燃やそうかな」と遠藤先生は飄々と語りかけるユーモアが和ませます。(中略)。 「お正月」の歌の後には、“後何回寝るとお正月になりますか。パートナーさんと一緒に数えて発表しましょう”。それぞれ指を折り数えますが、なかなか難しい問題ですが、徳永さんは几帳面に15、16、17、…とメモ帖に書き込みそれを確認して、17日とアンダーライン付けて私に見せました。(中略)。 |
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「お正月」の歌の後には、“後何回寝るとお正月になりますか。パートナーさんと一緒に数えて発表しましょう”。それぞれ指を折り数えますが、なかなか難しい問題ですが、徳永さんは几帳面に15、16、17、…とメモ帖に書き込みそれを確認して、17日とアンダーライン付けて私に見せました。(中略)。 3曲を歌い終わった後、各個人毎にご自分の選んだ歌を田沢先生のピアノ伴奏で歌います。徳田さんが選んだ曲は「故郷」でした。徳田さんはその3曲をすべてご自分で毛筆で書いた歌詞を持っていました。「徳永さん、ではね、2番まで歌いましょうよ」。一寸戸惑いを見せましたが、歌詞帖を開いて、ご自分のメモ帖に2番の歌詞を平仮名で丁寧に書き写しました。そして順番が回ってきたときは2番までごく平常にピアノに合わせました。私も少し離れて一緒に歌いました。(中略)。 「はい」、「おはよう」、「ヤッホー」(歌に合わせて)、数の数える、…といろいろ基本的訓練の後でしたが、今日は12月15日なので遠藤先生は赤穂武士の吉良邸への討ち入りの話を題材にされました。最初徳永さんは少し耳が遠いとのことでお話の内容が理解でき難いようで私に質問されましたが、「赤穂浪士」、「泉岳寺」、「大石内蔵助」と言っても失語症の私の発音が聞き難いものですから、理解して頂けないし、さりとてとっさのことで私が赤穂浪士や泉岳寺という漢字が思い浮かべることができず、「討ち入り」とメモ帳に書きましたところ、徳永さんは納得して「忠臣蔵」とお書きになりました。 これまでに私の間に筆談を交えてお住まいのこと、ご家族のこと、お孫さん等会話が少しずつ進みましたが、私は徳永さんの前に開いてある“ノート”を見かけたとき、あっと言葉を失う程ショックに出会いまいた。そのノートは毎回のこの教室で行われた内容の記録がつぶさに、しかもレイアウトよろしく記述してありました。以前に合った学生さんのパートーナーの人物イラストを切り取ってそれに氏名や出身母体を書いてありました。行及び文字配置等全てが女性らしい細やかな心配りがありました。これだけの詳細な記録を何時、お一人(?)で作成するのか疑問が起こりましたが、それよりその存在が驚異でした。 失語症の障壁はコミュニケイションにおける発信障害であると思っています。自己の思惟に構築不可能な重症な場合から言いたくても言えない場合、当然、失語症者は寡黙になりコミュニケイションを避けます。当事者は孤独になり、事情の分からない周囲の人たちは何も考えていないかと誤解します。場合によっては、“頭がおかしくなった”、と囁くこともあるでしょう。しかし、失語症は痴呆とは全く違います。失語症者の障壁を掻い潜りその記憶、時には分散している記憶を発現すれば充分その能力を発揮できるものと思っていますが、失語障害に対する対応は当事者と健常者との乖離が大き過ぎるのが現状で徳永さんのノートはそれを検証している貴重な記録だと思いました。 私は失語症者のポータブルプレイス( portable place : 一人一人がもつ生活空間 )は健常者と比べ異次元であると言いました。また、以前、ポータブルプレイスの異変が飛蝗(バッタ)の集団移動に見られるように、ヒトを含め生物に与える肉体的精神的影響は大きいことを拙著で日本文化と教育の混乱について触れたことがありまたが、将に失語症の壁は狭隘なポータブルプレイスを圧迫しムラ社会からの存在否定に通ずるものと実感しおります。その視点にたてば徳永さんのノートは、結果的に失語症者の現実への無言の挑戦になると思いました。 |
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12月22日(水)、クリスマス会が行われました。その様子をご覧下さい。 |
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平成17年3月23日(水)、「久我山ことばの教室」の1周年記念として温泉ツアーが行われました。その様子は でご覧下さい。 |
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平成18年1月にニュージランド旅行が行われました。その状況を遠藤先生がお書き頂いた文章を送って貰いました。その内容は でご覧下さい。 |
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平成19年7月25日(水)、久し振りに教室の参加させて頂きました。 そのときの報告です。
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