お便り7/8/7

  失語症の発症まもなくの急性期といわれる時期、初期の回復期と
  いわれる時期には当事者はもとより家族は不安になります。
  それに対応する言語指導の教室があります。今回紹介します。

  


 『久我山ことばの教室』は京王井の頭線久我山駅からゆっくり歩いて約10分の所にあります。
武蔵野の面影を残す閑静な住宅地で、地元の篤志家の所有する
瀟洒なマンションの一角にあります。
会場は天頂が高く、余裕のある設計・上品な内装も音楽の教室に相応しく、
音響・照明等の配慮が行き届いていました。
室内には2人用の簡易テーブルが8台車座に置いてありました。

 この会は「久我山ことばの教室」を開設するにあたり12月6日、1月28日、2月25日の体験会を重ね、4月からメンバーとボランティアの登録をし、毎週水曜日に活動をすることになり4月7日に始めました。

 『「久我山ことばの教室」運営のあらまし』という表題のあるレジュメを開くと、その中で主催者言語聴覚士遠藤尚志先生は次のことを
  言っておられます。
 
   ”1.(対象者と責任者)  「久我山」ことばの教室」はことばの障害をもつ方をメンバーとして、聴覚士( ST )の遠藤尚志が責任を
        もって企画・ 運営するものです。
     メンバーとしては、特に障害の重い方を歓迎いたします。
         (中略)

    2.(目的)   この教室の主な目的は、以下の通りです。
    1) ことばの障害をもつメンバーに適した知的な刺激や課題を用意して、「会話」や「交流」や「思考」の機会を提供すること。
    2) ふつうの生活者・社会人であるボランティアが、ことがの障害をもつ人の「よき理解者」として育つこと
    3) 家族同士の交流を促すこと 
          
    3.(方法) 毎週1回水曜日の午後1時30分〜4時に杉並区久我山4丁目の秦様宅に集まり、メンバーとボランティアが
      それぞれペアーになって、ST遠藤のもとで課題や会話を行います。… (以下省略)”

 

   * メンバーとボランティアがそれぞれペアーになり、2人用のデーブルに並んで座ります。遠藤先生の指導により、教室の授業が
   始まります。
   先ず、スタッフの紹介があります。
  

  ・「私は言語聴覚士の遠藤です。ピアノを担当下さる方は田沢容子先生です。ヨーコという字は分かりますか…。(文字について
  触れる)。はい、この教室の校長先生の秦さんです。以前は高校の先生でした(*会場のオーナーであるメンバー)。それから皆
  さんのお世話をやって頂く方は事務局山口礼子(ST)さんと泉マヤさんです。何でも相談してください。」
  ・ 「それでは始めましょう。なにより相手の方と仲良くなりましょう。拍手をしましょう。…そんなやり方ではダメだよ。もっと心をこ
   めて、相手の目をよく見てね」
  ・ 「介添えの方はペアーの方とよくお話をして下さい。名前、住所、年齢、家族数、この1週間の過ごし方・起こった事等、聞い
   て下さい。」
   適当な時間の後、順々に、ボランティアが氏名と住処の自己紹介し、それぞれのペアーとの先の会話の内容、つまり、名前、
   住所、年齢、家族数、この1週間の過ごし方・起こった事等を発表・紹介します。
 

   * 歌の合唱(ピアノ伴奏)。 題目は時により変ります。 : 早春賦、春が来た、花、どじょっこだのふなっこだの、春の川、
                                       メダカの学校、etc。
   

  ・ 「言葉が不自由でも出来ることはいろいろありますね。特に歌は右脳を使いますから…。」 
    各動作の合間に毎回先生の言葉が入ります。
  

  ・ T.”春の来た”(1番から3番まで合唱)。
    「介添えの方、ペアーの方が上手に歌った方は手を挙げて下さい」。過半数の介添え人からてが挙がる。「それではどなたか
   独唱してもらいますしょう」。中でも常に積極的な中島さん(仮名)が待っていたように立ちあがって意気洋々と歌います。
   ”素晴らしー”と晴れやかな笑顔で拍手を送ります。(先生はそれぞれの行動全てに”素晴らしー”と言って拍手します)
   「これは金メタルだなー。次に誰か歌う人はどなた。」(…周囲を見ながら)「でもね、次の方は銀メタルだから前の人より
   良くてはダメよ。」(…)「中島さん、もう一度歌いましょう。でもね、今度は人を喜ばせるように、歌手になった積りで歌うんだね。」
   (彼の素振りは明るく楽し気です。そして別の方が歌うことになりました。)「うまい、うまい、素晴らしいー」
   (一同を自然に誘うように拍手)。
   「春はどこに来ましたか」。「それでは聞いて見ましょう。介添えの方、ご自分のペアーの方に”春は何処に来たか”を聞いて
   下さい」。
   (順にその質問とメンバーの答えが回って来ます。回答は”山”、”里”、”野原”を期待しているようですが、答えられない方も
   多いようですが、道すがら色とりどりに花を見て来た人は思わず”どこにでも”という回答もありました。
   「”私の心に春が来た”と思っている方は手を挙げて下さい」
  

  ・ U.”花” (1番から3番まで合唱)。
   「この川の名前は何川ですか」。「それじゃーこちらから聞きましょう。介添えの方聞いてください。」、「墨田川」、「直ぐに言える
   方にはご自分の町の川の名前も聞いてください」、(×××××××)、「多摩川。石川さん、あー、あそこに住んでるの、
   いい所だね」
   「この川にある橋の名前は分かりかすか」。
   これは相談するより個人個人の記憶との会話のようで、先生はさりねなくそれぞれの様子を観察しておられ、突然、「田中(仮名)
   さん、あなたは知ってるでしょう」、(彼は手を振って知らないと言う合図をすると、すかさず)、「あなたの出身地は何処?」、「東京
   の青梅です」、「それじゃー仕方がないね」。(そう言って踵を変えて、次に出てくる名称を紹介しながら”白髭橋なんて難しい
   ものはどうかなー”といって辞書を見て話しかけていました。
    結局地元に詳しいボランティアが整理し、最後に氏の”墨田川は何処から流れてくるのか説明で次に進みました。
    しかし、後になって知りましたが、田中さんはこの川の橋の名前を殆ど知っていたのです。勝どき橋、佃大橋、永大橋、清洲橋、
   両国橋、蔵前橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋‥、墨田川の辺を散歩したり、毎年花見にも行き花火見物も好きでした。水上バスで
   浅草に行くのも何回かありました。失語症者は悪意がなくても当座の対面をさける傾向が身についてしまっている事が意外に多
   いのです。恐らく遠藤先生は彼の表情からの発信情報を受信したのだと思います。)
   「この曲の作詞者は誰ですか」。(テーブル毎に囁きが伝わって来ます) 「滝廉太郎、の「れん」と言う漢字は分かりますか」、
   (と言って周囲のテーブルのノートを見て回り、辞書を開いで、見せたり「病だれに…と説明していました)。
   「この方の有名は曲を知っていますか」、(ピアノのBGMが入りました) 、「”こうじょう”の”こう”は書けますか。」、「この方は若く
   して亡くなったのですよ」、「この曲は有名ですでよね、あれは出典がありましてね…」

  ・ V. ”どじょっこだのふなっこだの” (1番から4番まで合唱)。
   「青森の歌です」。 「”春夏秋冬”と言えますか」、「どれが一番好きですか。介添えの方相手の方に聞いて下さい」。
     (コミュニケイションとしての機能を設定していると思いました。時間がある時は発表します)。
  

  ・ W. ”朧月夜” (1番から2番まで合唱)。
   「”朧”ってどう言う意味ですか。そー、これは学生さんに聞きましょう。あなた、どう?」、何人かの人がそれぞれ答えます、(中略)、
   「そーね、それでいいと思いますよ。水蒸気が少なくて見透しよい”クッキリ”の反対と思えばいいと思います…」
  

  ・ X. ”春の小川” (1番から2番まで合唱)。
   「これは最近は変わったけれど”渋谷川”の歌です」。
  

  ・ ”メダカの学校” (1番から3番まで合唱)。
   「メダカの学校は何処にありますか」、「川の中」、「ネズミの学校は?」、「中学(チュー)校」、「米櫃だよ」

  * 「さーこれから言葉の練習をしましょう。」
   

   「まず始めに、親指を中に握ってを開き時に1、2、3、4,5,6,7,8,9,10と数えて下さい。」、「介添えの方お願いします。」
   (周囲を確認しつつ極自然な雰囲気で「体で教えて下さい」と声をかけ、各自の行動の間合いを見ながら) 「それでは一緒に
   やって見ましょう」。
   つぎに指を合わせていろいろな形を作ります。

        ・ 人差し指と中指でピースを作ります。
        ・ 両手の指を使い○を作ります。
        ・ 影絵の狐を作ります。
        ・ 親指、人差し指と中指で3次元の軸を作ります 。
        ・ 両手の指を使ってハートを作ります。(これが親指が下に入らなくて苦労している方もいたようです。)
          「愛、ハート。世の中で大切なものです!」
          (勿論、毎回確認します)

   具体的ことばの練習のメニューには説明の段階によると
   

        1.「ハイ」
        2.「オーイ」
        3.「ヤッホー」
        4.「モー」
        5.「コンニチハ」
        6.「イイエ」
           …
         のようです。
        (意思表示ができること回復の第一歩との説明でした)
        つまり、はっきりとした意思表示こそ回復の一里塚であることを言っておられると思います。

   ・ 「それでは挨拶をしましょう。お名前を呼ばれたら、”はい”と答えて下さい。始めにそれぞれ練習して下さい。」
    (介添えの方を主に指示し、それぞれの作業の様子を確認しながら)
    「…それではい、いいですね、皆さん一緒に呼びましょう!」、
    (一同一緒に名前を呼び、呼ばれた方は、「はい」、と答えます。
    「か・わ・ぐ・ち・さん!」、「はい」・「は・い」…。(そして次の方も同じことを行います)
    しかし、この ”はい” は一つの関門であり、苦労する方もあります。石川(仮名)さんは周囲の人が”石川さん”と呼ぶ時ご自分も
    一緒に、”い・し・か・わ・さ・ん”と口が動くのですが、肝心のご自分の返事の番になると、呼びかけに対し”はい”ではなく、
    ”い・し・か・わ・さ・ん”と口が動くのです。発音は殆ど伴わない。当事者の緊張と憔悴が表情に出てきます。遠藤先生は介添えの
    学生さんに声をかけます。「発音のときの口の動きをよく見させて発音してご覧さい。はっきり口を開いて一緒に”はい”とやって見
    させなさい。」(特に聴覚士の学生には指導をしておられたようです。)それでも、名前を呼ばれて、”はい”ではなく、”い・し…”で
    戸惑っていると、突然、遠藤先生のからの、”石川さん!” と言う声に反応して、”はい” と思わず答える。「素晴らしい、出来る
    じゃないですか」。何時ものように笑顔で語りかけました。
    初めてその場を居合わせた人は、遠藤先生のカラクリ人形を操るかのような指導にはっと息を呑む瞬間でした。
    それから一人つづ順番に同じことをやりますが、当然スムースに出来る人だけではありません。介添えの方の協力でやる方も
    ありますが、その度毎に、「焦らずゆっくりやって下さい。この教室は障害の重い方と初めての方に合わせて進行しますから。」
    と声をかけます。    そして、終って息を吐き出すや”素晴らしー”の声と拍手を緊張を和らげます。
   

   ・ 「次には、”モー”、と言う言葉を練習をしましょう
    牛のなき声の練習です。
    「それでは先ずそれぞれでやって見て下さい。…介添えの方、自分のペアーの方が”モー”といえましたか。」
    「それではこちらの方からやって見ましょう」 (介添えの方に順にマイクが周り、それぞれのペアーに)
    「、”モー”と言いましょう」 (マイクを向けます。口篭る方、お腹の中から吐き出すように言う方などありますが、)
    「飯島(仮名)さん、この方は普通に喋ることができるんだから、その先進んで聞いて下さい。」 (と言い)、
    「落合(仮名)さん、白と黒の牛は何て言いますか」、「…」、「飯島(仮名)さん、教えてやりなさい」、「ホルスタインですよね」、
    (…その言葉に合わせると口篭る)。人によっては「牛は人間にどんな役に立ちますか」、「食料」、「どの牛がよいですか」、
    「私は高い牛は買わないから…」、「よく分からないけど、日本の黒い牛」、「関西の地名のある牛がありましたね」、……
    「どの様にして食べますか」、「スキヤキ」、「あなた、待ってたのね。スキヤキが好きなんだ。」

   ・ 「”オーイ”、の練習をしましょう。今回は充分言える人もいますから、”オーイ”の後に、”お茶”、と言って下
    さい。もっと,言える人は、”お菓子”、具体的には自分の好きなものがいいですね。鈴木さん、あなた、羊羹が好きそうだね。
    (介添え方に)そう絵を描いて、相談したら」。ジェスチャーで四角い羊羹のイメージを伝えます。 
    (さり気なく独り言のように付け加えます)‥「失語症の場合は2つ、3つと言葉が続くと話をすることが難しいのです。」
    それぞれのテーブルを見て周り、「このお茶の絵は巧い…」等など、メンバーの描いた”茶碗に湯気の立ってる絵”などを通じて
    コミュニケイションがあります。(しかし、これは全くアトランタムに行っているいるように見えますが、実は会場の一同を把握して
    おり極めて効率的に配慮されていました。それは無意識の内に専門家の中に培われた嗅覚を感じました。遠藤先生は
    名伯楽でから。)
    「それではこちらの方から始めて下さい」
     この場合も「オーイ」を介添えの方の助けを借りて漸く発音する方、途切れ途切れながら、”か・し・わ・も・ち(柏餅)”、と言った
    方(この方は構音障害ですので遠藤先生の解説がないとよく聞き取れません。別な場面ですが、他にも同じ障害を持つ方があり、
    ”耳が慣れないと言ってることを掴めない。もう一度言ってください”、と言うこともありました。)もおられました。
    また、健常者と変わらず、”オーイ、お茶”、”お茶受けは何にしますか”、”そうですね、甘いものは好きでないから煎餅にします。”
    というやり取りもありました。 いずれも、”素晴らしいー”、《拍手》ですが、当然ながら前者が幾分勢いが勝っている感じです。
   

   ・ 「それではここで数を数えましょう。
    1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,が終わり次が、一(ひとつ),二(ふたつ),三(みっつ),四,五,六,七,八,九,十(とう).
    これも一巡しましたが、矢張り、ここでも中島さんはおお張り切りで、立ち上がって手振りよろしく、” ワン、ツー、スリー、フォー、
    フォイブ、シックス、セブン、エイト、ナイン、テン”、と歌いました。
    「よく来ました。中島さんはボクシングのレフリーが出来るよ」
    「それでは今日のオヤツの甘納豆をいくつにしますか。さー、相手の方に質問して下さい。」
    …これも順に発表します。個人によって違いますが、”3・つ‥”、と一語毎に時間をかけて介添えの方に促されて掠れた声で
    一生懸命に言っている人もありました。(そこには常に、”障害の合わせて進行しましょう”、という見えない鉄則があります。)
    「大きい粒なら5位かな」、「小さい粒ならどれくらい?」、「小さい粒なら、うー、10位かな」、「誰と食べるの」、「一人で」、
    「一人締め?、寂しいね」、「私は甘いから食べない。沢庵のほうがいい」、「沢庵丸ごとかじる?」 
       (…まあ、痒いところがないですか。どこでも行き届くようにね)。  
    

   ・ 「”ヤッホー”、と言うましょう」。
     (中略)。 ことばが出ない場合は、「そう、あの歌ですよ、それでは皆さん一緒に歌いましょう。」
     (「アルプスの牧場」を、合唱します。)
     そして、”ヤッホー”、が出にくい人場合はその、”ヤッホー”、のことばの出てくる前の一章節をピアノ伴奏で歌い、その連続に乗
     って、”ヤッホー”、という練習をします。

     

   ・ 「”今日は”
     (中略)。
  
   * 最後に、介添えのボランティア(付き添えの家族の場合が多い)、付き添い・見学で参加された方のコメントを聞きます。
     この感想やメンバーの紹介などは参加者には参考になります。
   

   ・ 「内田さんはこんない素敵な絵葉書をご自分でお作りになるんですよ。」 (何枚かの提示しなから…)
   ・ 「主人は水曜日になりとどうも気が重く‥、電車の乗り換えが大変なので、今後私が運転して来られように、今日は私の妹が車
     で送って呉れたんです。」 (この方のご主人は40代で、1年半前、おそらく働き盛りに発症されたようで、事前はパソコンは思う
     儘に使えることが出来たのですから、回復期と言っても言語の不自由の苛立ちは想像するにあまりあります。発症後1〜2年
     頃、人に会ったり、また何かを聞かれその返事を待たれる時のやり切れない気持ちを、述懐している方は多いのではないで
     しょうか。私もそうでした。一緒に頑張りましょう。)
   ・ 「主人は喋るし、歩くのも早く、どこも問題がないと言われるますが、今日の事も帰ると直ぐ忘れてしますんよ。…」 (常に目立つ
     中島さんの奥さんは、余裕を感じさせるヒンのいい方でした。中島さんは、この会で質問と答える相手の発言にはマイクは介添
     えの方が持つのですが、殆どと言って良い位、自らご自分マイクを受け取り、介添え人が戸惑うことがしばしばありますが、
     生来(?)の屈託のない人柄からか、座を明るくします。年齢は69歳になられ、ご本人は、杉並区×××○ー○ー○
     中島啓(仮名)と淀みなくはっきりと言います。7年前蜘膜下出血、4年前再手術を受けたがそれから失語症の症状が起こった
     ようです。山登りが好きで月に1回乃至2回は出かけるそうです。ご家庭はお子さんは既に巣立ち今は奥さんと犬1匹の3人
     家族と言われます)
   ・ 「家に帰ってから息子にも何回も言われてお風呂ではそうとう練習していました…」   その石川さんの奥さんのお話を聞いて、
     ”そうでしたか、それをお聞きしてやっと納得しました”…と言う思いを持った方は少なくはなかったと思います。漏れてくる隣の方
     とのペアー同士との会話では疎通が円満に見えるのですが、いざ自分が発言する段になると、突然厚い壁に阻まれて口元は
     動くのですが言葉にならないことが通常と思っていましたのに、一(ひとつ)、二(ふたつ)、三(みっつ)、四(よっつ)、…十(とう)、
     とはっきり大きな声で言ったを聞いたとき、訝かる前にビックリしたのが殆どの人の実感ではなかったと思います。ひょっとする
     と、”石川さん!”‥呼吸のタイミングを合わせたあの遠藤先生の呼びかけに答えて、極自然に出てきた、”はい”、その瞬間の
     遠藤先生の神通力に啓発されたのではないか‥そんな疑問への回答と、失語症の健常者には理解し難い現状の説明になっ
     ていました。
       (中略)
 
      


   

     全ての会には参加する目的・動機があります。
   

      そこで、この教室について考えてみたいと思います。
       主催者は別にして、この会に出席している方々を考えて下さい。
      参加者は
      1.失語症者 2.その家族 3.ボランティア(言語聴覚士、その養成学校の学生、またその研修途上にある人、老人介護や
       区市の福祉の関係者及び活動家等) 4.見学者 5.その他      以上の皆さまだと思われます。
      ”(失語症の)ことばの教室”ですから、当然、そんな事は言わなくっても判っているではないか。”…そうです”、誰もそれに逆ら
      う事はないでしょう。でもね‥そうなんです。
       失語症者の私は判るんです。上の方々は1.を除いて全て健常者であり、自分の思った事に何の壁を持たず発言できる人
      です。もし科学的な手法でできるのなら、この会場に入ってから退室までに発した言語の数を数えて下さい。現にあの、
      コメントの文章を書いて見れば、”はい”、”いいえ”、”オーイ”、”お早う”、”今日は”、”ヤッホー”、”モー”(牛のなき声)、
      …に集中する方々との間には距離の懸隔には越えられない深い闇が歴然として存在していることを理解して頂きたいと思って
      います。それは、殆どの方は言語障害以外に肢体の障害を負っているのが通常であり、外観ではまったく分からない精神的
      障害とその後遺症に苦しんでいる方が意外に多いことも含めよくお知り頂きたいと思います。つまり、特に重度の方ほど同じ
      会場にいてもそのポータブルプレイス( portable place : 一人一人がもつ生活空間 )は健常者とは、まさに異次元なのです
      から。
       ですから、恐らく失語症当事者と家族(妻・夫)はひたすら言語訓練を念頭に(いやそれだけで充分過ぎる…)参加し、その
      他の方々はそれなりの目的に集まるのですから、各自の価値観に齟齬もあると思います。
      一週間に1回は、普通の方には生活のリズムの一点でもあっても、それが生活そのものの方もいるでしょう。  
       ある本によると、
      『脳溢血、脳梗塞、くも膜下出血などの脳梗塞は、壊死した部位によって言語障害、記憶喪失、運動麻痺などさまざまな
      障害が現れる。内蔵疾患の場合は手術して悪い部分を切り取れば回復は可能だが、脳の場合メスを入れることができない。
      その代わり機能回復には一つだけ方法がある。それはリハビリだ。』と言うことです。
       そこで、この際失語症に限って言及しますと、いま該当する方はおよそ30万人から50万人いるのではないかと言われてい
      ます。その治療にあたるSTの数は今のところ全国で約2 千人程度です。STの資格も漸く国家試験の導入制度が定着
      したことで、人材レベルの向上と人員数の増加があるとは思いますが、50万人に対して2 千人というのは圧倒的に数が少ない
      ですし、施設もまだまだ充実していませんので、全ての患者が十分な治療や訓練を受けられているとは全く言えない状態で、
      その退院後は自然治癒に任せて来た経過がありました。
       処々に、関係者の努力により、”友の会”の活動が行われていますが、特に人材難、敢て言わせて頂ければ優秀な人材難
      で必ずしも旨く機能しないのが偽らない現状ではないでしょか。
       よきリハビリのが実施されるためには、施設・資金が必要である事は言を俟ちませんが、全ての事業の根幹は”人”であり、
      その環境ですから、当然、言語指導と担当者の養成及び介護者の理解は一体であることは理想だと思います。現実を克服
      するために、つまり、遅々として進まない言語障害(その背景にある記憶・思考等の脳機能障害)に抜本的対応として立ち
      上げ運営する主旨がこの教室の目的に謳われていると思います。しかし、言語の回復はあまりにも緩慢で辛い道程です。
      時間との闘いはあくまで個人の宿命です。厳しい選択があるかも知れません。
      千里を走る虎はどこにもいるが、伯楽はそれにあらず、と言いますが、この教室は明らかに遠藤先生のキャラクター発現その
      ものだと感じました。
   

   リハビリの環境設定の観点から最後にもう一度、”教室の目的”、を確認します。         
                                               


  目的)   この教室の主な目的は、以下の通りです。
    1) ことばの障害をもつメンバーに適した知的な刺激や課題を用意して、「会話」や「交流」や「思考」の機会を
      提供すること。

    2) ふつうの生活者・社会人であるボランティアが、ことばの障害をもつ人の「よき理解者」として育つこと
    3) 家族同士の交流を促すこと

    



                




                                               04.4.25.


 久我山ことがばの教室 ボランティア講座(第1回) が遠藤先生により行われました。その講義のうちこの教室に直接係わる部分を抜粋文を表示します。
 
 3.「久我山ことばの教室」の構造面での特徴
  1)場所、主催者の独自性(コミュ二ケーション場面の安定性)
  2)メンバーの共通性(障害の重い人を中心にしたグループ形成)
  3)席の座り方と人間関係の展開の仕方(二人で相対しながら全体を眺める)
  4)プログラムの内容が固定してる(全員が無理なく参加でき、しかも各自が一等賞になれる場面を用意する)
  5)自由な発想を尊重する気風(ことばよりも考えの豊かさを重視する)


 なお、以上の「構造面の特徴」でお分かりの通り、この教室は密度の濃密な指導が施されていますので、常時多くのボランティが参加しています。意欲のおありの方はボランティとして参加されたらいかがでしょうか。歓迎されるでしょう。
秋の花々
4月から始まったこの教室も秋を迎えました。11月10日には秦校長先生の柿園で家族会が主催で「柿もぎ会」が催しされました。楽しいひと時でした。



                                                    04.11.17.

 12月15日は水曜日でしたので、予定通り教室は授業がありました。開校以来会員及びスタッフも安定し、家族会も順調に活動を始め、アットホームな雰囲気が定着しているように感じられました。先に、“遅々として進まない言語障害”、“言語の回復はあまりにも緩慢で辛い道程です”、と言いましたが8ヶ月間で具体的に指摘することは難しいのですが、明らかに回復が進んでいることは実感できます。

 “主人は水曜日になりとどうも気が重く‥”、と奥さん仰っておられた本橋さんは毎回参加され、スピーチにパートナーとの遣り取りも随分楽になったようで、発言が多くなりました。顔色もその表情も明るくなり赤いセーターを着、パートナーの年齢についての質問に、“28歳(?)”、と余裕を見せていました。何しろ奥さんが以前に益して綺麗になりました。石川さんは毎回ご苦労されている様子は良く分かりますが、回復の兆候は分かります。矢張り明るくなりました。(中略)。

 内田かずさんは年齢66歳で3年前球麻痺という病気で言語の発声困難な方です。お父さんを同じ病気で失い遺伝性ではないかと気にしておられました。以前家業として舞扇製造をご主人とご長女で経営しているとのお話を聞いたと事がありましたが、今回のお話によると、「12月に実弟の長男25歳が弟子入り」とのことでほんとに嬉しそうに書いてくれました。内田さんは相手の言うことは全て分かりますが、気道に関係する障害でなかなか発音が大変なので筆談の方が楽なようでその都度書いて見せます。会話訓練のとき、「お汁粉(おしるこ)のお餅をいくつにしますか」、に対して、「5個。でもお餅は食べられないので、白玉の小さいものですが」、と嚥下障害と思われる説明をしておりました。
 内田さんと接触のある方は内田さんの見識・教養はよくご存知ですが、構音障害の場合言葉のろれつが回りずらいのでなかなか話の内容を相手が聞き難いことが多く、適当な仲介に恵まれないと会話の印象が薄くなる傾向は避けて通れません。ですから、積極的に参加しておりましたが、残念ですが、ご自分で言われる通り声が小さく、特に高い音程が発音し難いですから、外見では少し迫力に欠けることになりますが、「今月の季節は」と言う質問に、「冬」で充分ですが、内田さんは更に追加質問「一年の季節は?」に答えて、普通は「はる・なつ・あき・ふゆ」と答えますが、内田さんはご自分の言葉を独自に確認しながら「しゅんかしゅうとう」と答えました。         …コミュニケイション障害の重さを肌で感じさせられます。
 また、後にご自分の作品をお送り頂きました。       です。

内田 かず さん
徳永 寿美子 さん
 今回、徳永寿美子さんの隣の席に座りました。私が簡単なご挨拶と氏名を言いますと、“私は…”、と氏名と住所をメモ用紙に書いて渡して呉れました。お年をお聞きしましたところ79歳でした。教室に実施の詳細は割愛しますが、今月の歌唱は「たきび」、「お正月」、「故郷」の3曲でした。それぞれの歌を歌った後先生からそれに相応しい問いかけや質問があり、それを受けてパートナーが呼びかけます。「徳永さん、“たきび”では何を燃やしますか?」。「落ち葉、枯れ枝」と徳永さんは答えて呉れました。勿論、「お・ち・ば」と、発音できれば充分ですが、なかなか言葉が出てこない方もおられますし、人によっては、“やきいも(焼芋)”、と言うと、「うむー、××さん、古いラブレターも一緒の燃やそうかな」と遠藤先生は飄々と語りかけるユーモアが和ませます。(中略)。

 「お正月」の歌の後には、“後何回寝るとお正月になりますか。パートナーさんと一緒に数えて発表しましょう”。それぞれ指を折り数えますが、なかなか難しい問題ですが、徳永さんは几帳面に15、16、17、…とメモ帖に書き込みそれを確認して、17日とアンダーライン付けて私に見せました。(中略)。

  「お正月」の歌の後には、“後何回寝るとお正月になりますか。パートナーさんと一緒に数えて発表しましょう”。それぞれ指を折り数えますが、なかなか難しい問題ですが、徳永さんは几帳面に15、16、17、…とメモ帖に書き込みそれを確認して、17日とアンダーライン付けて私に見せました。(中略)。

 3曲を歌い終わった後、各個人毎にご自分の選んだ歌を田沢先生のピアノ伴奏で歌います。徳田さんが選んだ曲は「故郷」でした。徳田さんはその3曲をすべてご自分で毛筆で書いた歌詞を持っていました。「徳永さん、ではね、2番まで歌いましょうよ」。一寸戸惑いを見せましたが、歌詞帖を開いて、ご自分のメモ帖に2番の歌詞を平仮名で丁寧に書き写しました。そして順番が回ってきたときは2番までごく平常にピアノに合わせました。私も少し離れて一緒に歌いました。(中略)。

 「はい」、「おはよう」、「ヤッホー」(歌に合わせて)、数の数える、…といろいろ基本的訓練の後でしたが、今日は12月15日なので遠藤先生は赤穂武士の吉良邸への討ち入りの話を題材にされました。最初徳永さんは少し耳が遠いとのことでお話の内容が理解でき難いようで私に質問されましたが、「赤穂浪士」、「泉岳寺」、「大石内蔵助」と言っても失語症の私の発音が聞き難いものですから、理解して頂けないし、さりとてとっさのことで私が赤穂浪士や泉岳寺という漢字が思い浮かべることができず、「討ち入り」とメモ帳に書きましたところ、徳永さんは納得して「忠臣蔵」とお書きになりました。
 先生は会話の場合同じ言葉をオウム返しに言うより別な言葉を答えることの方が難しいと説明し、討ち入りの合言葉を知っていますかと話しかけました。それからそれぞれのペアーで合言葉を巡って対応が行われます。「××さん、忠臣蔵の討ち入りの合言葉は山に対してなんですか」、「…」、「か・わ」。「山!」・「川!」。(ここにはご想像下さい)。

 これまでに私の間に筆談を交えてお住まいのこと、ご家族のこと、お孫さん等会話が少しずつ進みましたが、私は徳永さんの前に開いてある“ノート”を見かけたとき、あっと言葉を失う程ショックに出会いまいた。そのノートは毎回のこの教室で行われた内容の記録がつぶさに、しかもレイアウトよろしく記述してありました。以前に合った学生さんのパートーナーの人物イラストを切り取ってそれに氏名や出身母体を書いてありました。行及び文字配置等全てが女性らしい細やかな心配りがありました。これだけの詳細な記録を何時、お一人(?)で作成するのか疑問が起こりましたが、それよりその存在が驚異でした。

 失語症の障壁はコミュニケイションにおける発信障害であると思っています。自己の思惟に構築不可能な重症な場合から言いたくても言えない場合、当然、失語症者は寡黙になりコミュニケイションを避けます。当事者は孤独になり、事情の分からない周囲の人たちは何も考えていないかと誤解します。場合によっては、“頭がおかしくなった”、と囁くこともあるでしょう。しかし、失語症は痴呆とは全く違います。失語症者の障壁を掻い潜りその記憶、時には分散している記憶を発現すれば充分その能力を発揮できるものと思っていますが、失語障害に対する対応は当事者と健常者との乖離が大き過ぎるのが現状で徳永さんのノートはそれを検証している貴重な記録だと思いました。

 私は失語症者のポータブルプレイス( portable place : 一人一人がもつ生活空間 )は健常者と比べ異次元であると言いました。また、以前、ポータブルプレイスの異変が飛蝗(バッタ)の集団移動に見られるように、ヒトを含め生物に与える肉体的精神的影響は大きいことを拙著で日本文化と教育の混乱について触れたことがありまたが、将に失語症の壁は狭隘なポータブルプレイスを圧迫しムラ社会からの存在否定に通ずるものと実感しおります。その視点にたてば徳永さんのノートは、結果的に失語症者の現実への無言の挑戦になると思いました。

 常々尊敬を以って確認しています。今回、更に直面し、そして自信をもって宣言させて頂きます。実績のある方に送られる今年(毎年)の流行語:遠藤尚志:『
失語症者はひたむきである。



                                                          04.12.19.

 

12月22日(水)、クリスマス会が行われました。その様子をご覧下さい。

           

平成17年3月23日(水)、「久我山ことばの教室」の1周年記念として温泉ツアーが行われました。その様子は

             でご覧下さい。

平成18年1月にニュージランド旅行が行われました。その状況を遠藤先生がお書き頂いた文章を送って貰いました。その内容は
       
          でご覧下さい。

 
平成19年7月25日(水)、久し振りに教室の参加させて頂きました。
 そのときの報告です。

   

 

 



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