この言葉こそ著者の言語聴覚士としての思いを込めた叫びではないでしょうか。
 それには真摯な実践に基ずく使命感の響きがあります。

   遠藤尚志先生は言っておられます。
 
 『 失語症者はひたむきである。
  大学生の時に脳外傷を負った著者もまた、
  新生活を模索した20年の道のりを通じて
    そのことを伝えてくれる。』
 
表紙です

 著者が交通事故で運ばれた救急病院の都立広尾病院で直接緊急手術を担当された医師は
      都立広尾病院 副院長 脳神経外科 古賀 信憲 先生
でした。今回先生からこの著書にコメントを戴きました。
  平澤先生自身の、患者として体験した苦境を乗り越え、自らの経験を元に必死の勉学を積み、より多くの障害者のために仕事している姿がこの一冊に集約されている。
医療側に必要な「苦悩する患者さんを理解する心」を、原点に立って考えさせられた。
 当院の看護師をはじめ多くの医療人、特に言語療法士にはぜひ読んでもらおうと薦めています。』

 

右の写真は診察室での古賀先生です

 自己の辛い体験を通し語りかけ、ご指導して下さる私たち失語症者にナビゲーターになる本です。失語症者と家族が本当に求めている差し迫った情報の少ないこの世界にとっては福音です。
 著者はその著書のなかで『失語症とは、言いかえれば、”孤独病”なのです。』(p.72)と言及しておられますが、孤独を形造る悲しい実態について、著者が発症後の回復期といわれる時期の生活内容を振り返った著述のうち次の記述(p.65)でかいま見ることができます。
 『「平澤はどう思う?」と直接聞かれる時はうれしのですが、逆に非常にプレッシャーがかかります。本当はAという意見には反対なのに、Bを正当化するためのことばが頭に浮かばないため、「Aがいいと思う」と答え、自己主張していく権利を自ら放棄していました。』
 失語症者は程度の差はあっても同じ経験を持っているでしょう。私は情けないありし日を彷彿して涙が止まりせん
でした。

『月間ブリコラージュ2004年2月号』よりの紹介文を掲載します。』
              『 失語症者、言語聴覚士になる 』
                ことばを失った人は何を求めているのか

   著者◇平澤哲哉

   判型 A4判・並製カバー・200 頁 発行◇雲母書房 定価◇1,800 円+税

 失語症を克服して、ST(言語聴覚士)になったという例は、世界的に見ても希有でしょう。日本では現在ただ 1 人、ST 養成機関に在籍しているのみです。

著者は、大学生の時事故に遭い、一命はとりとめたものの、重い失語になりました。ことばを失った青年は、絵本、イラストに文字を添えた手製の単語力ード、一桁の足し算表などを相手に、ことばを再獲得するべく涙ぐましい努力を開始します。

 周囲は、さまざまなかたちで「言葉の援助」を差し伸べるのですが、「健常者」からのアプローチには甚だしい苦痛と屈辱を味わうのです。一見して五体満足なことから、失語症の実態は誰にも理解されず、孤独な学習の日々を送りますが、著者はやがて、人院生活を支えてくれた手厚い看護や、言語訓練の印象がよすがとなり、医療職を目指します。それも、晴れわたることのない失語症を抱えながら、言語聴党士になろうと … … 。

 本書は、失語症を克服して、言語聴党士になった青年の成功物語というだけではありません。すさまじい言葉の闇を体験し、現在でもいくぶん不自由を感じている元患者からの、家族と医療への貴重なメッセージが含まれています。脳卒中などによって、ことばを失った人は、 目に見えない障害であるため、社会の水面下にいるといっていいでしよう。著者がたどった道のりは、 1000 人に 1 人以上といわれる失語症者が、再び街に出ていくための指針にもなると思います。

   

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