今回からこのサイトの表題を『高次脳機能障害・失語症』と変更しました。
以前は特定の失語症の会の活動報告を主に失語症の方々の交流の場として利用できればと思っていましたが、実際は情報の交換は勿論、私自身情報の取得が大変難しく、また情報の取捨・選択・整理に戸惑う事が多く、然したる結果もなく時が経ちました。
. このサイトは平成14年暮その会の旅行の報告(今はその内容は削除してあります)を皮切りにその会の言語聴覚士(ST:Speech Therapish)がその会の紹介文(削除)を書き、アップしたものでした。今から1年数ヶ月前の事ですから、意欲はあっても文章の構成に不安だらけであり、しかしそれより何と言ってもホームページ作成自体に全く素人ですから随分迷っていました。そんな時会のホームページを作成について自宅にそのSTの訪問を受けました。それは私が日頃ホームページに執着しているのを知っていましたからでしょう。当然ながら失語症に罹病した私の回復を少しでも検証したいと手探りしながらパソコンに向かっていた私は即座に了解しHTMLから準備しました。
発症から回復途上での経過を振り返って見ると、新聞はじめ雑誌・本や役所への文書等の類は解読が大変で直ぐ疲労してしまうし、文章を書くと遅いだけでなく必ず何処かに間違えがありました。それが除々に回復に向いているのは肌で感じていましたが、当人の要求から見ればいかにも遅く、飢餓感に苛まれ、閉鎖感からの脱却で情報が欲しいと言うことになり、それにはインターネットしかないのが現状でした。(今では何とか文章も書きますがそれはごく最近の事です)。
更に私がホームページに拘ったにはもっと当面の直接な事情がありました。
私はその会に私の通院している病院からの紹介で入りました。殆ど言葉が言えない当時は妻の勧めに逆らうような状態で参加しましたが、人前で喋ることは相当気持ちの負担でしたが、入院以来あまり人と会わかった当時は集会の中に居る事は快い刺激でもありました。しかし、それも長くは続きませんでした。毎月送ってくる例会の会報は毎回の会員の発言が載っているのですが、狭いのは仕方がないとしてもどうも発言内容の編集に少し焦点がずれている気になってきました。
また毎回の発言発表のテーマに違和感を感じていました。
私はその会に入った年の次年度にSTと会長から呼ばれて会の役員として広報委員をやるよう言われたが、一様は辞退したが、まあまあと言うことで受け入れました。しかし、1年間経っても全く連絡なく終り、その間会からの1度の食事会がありましたが、妻から言われたから付いて行った程度で失語症としての私には煩わしいだけで収穫はなかったと思っています。
当時、自分の心に係わるコミュニケイションがなく、親切に見える対応にも余所余所しいところがありなかなかガードが固いと言う感じでした。私は常に自分を1本の木だと思っていました。1本の木だから森が見えないと焦っていました。(他の会員がそのSTの病院にリハビリや治療に集まりそれが会員の情報源であるのを知ったのは随分後になってからでした。)
私は何とかして会の流れに乗りたいと思うのが自然の成り行きでそこにホームページの作成の意味があったのです。
従ってホームページの作成技術は全く幼稚でも仕方がないが肝心の内容の設定に困りましたがSTの支えを背に感じ、最初のページの「研修旅行」と「会の紹介」(STから送付された原文)でアップし、回を重ねました。その際1部の部分に加筆をお願いしたり、また、クリスマスの場合は企画予定をメールで送って貰いました。
つまり、毎回メールで連絡・相談をしました。因みに当時のSTからのメールの1つには次の文が残っています。
”都民議会の担当の方からのメール、拝見しました。このような形で広がっていくんですね。**さんのお力に感謝しつつ脱帽です。
ホームページでの受賞のお知らせ、私も説明を読ませていただいて経緯がよく分かりました。ありがとうございました。……”
そして写真には技術の高いボランティの協力があり、また、私の文章の誤字・脱字を修正していただく方もあり、更にコピーして配る方もおられて、順調に発展すると期待してましたが、少しページ数が増えた時から私の悪い予感が中りました。全ての事柄は結果から見れば、全く当たり前のことですが、とうとう避けて通れないところに来たと憂鬱でした。
それは昨年の研修旅行の結果を発表した後の会の会報に毎回載っているこのHPのURL(ホームページアドレス)が欠けているんです。後の説明によると紙面に書く余裕がないと言う説明でしたが、書く積りがあれば、1行位空けることは造作もないことと思っていました。私しては慣れないソフトを使いスライドショウを入れ結構苦労していましたし、また会員からも内容についての感想及び誤字や細かいアドバイスなどの連絡を来ていたので、会の会報としては、一泊と言う年次行事の報告の全くない会報の在り方は偏っているのは明らかでした。
申し訳ありませんが、それには遠回りな説明が必要です。
つまり、会の情報伝達機関である会報が組織を代表する機関としての客観的機能より実質的発行者(ボランティを含む)の判断に比重をおいた編集であった事に原因があったのです。当会の規約によれば、「第5条 (役員) の欄には 会長1名 副会長3名 会計2名 会計監査2名 広報4名 」となっているが、既に述べてた通り全く「広報」役員は会の仕事に係わっていないで、会計を担当していると言われる方(会長婦人)が事務連絡等を一手にやっていて(集会の原稿の起草には一緒にボランティが係わっている)、いわいる事務局と言われる処、その所在地も規約自体に存在していない状態です。
恐らく創立以来、そう言うやり方で混乱もなく続いて来たので納得していたんでしょう。確かに文書を印刷し発送し、会場準備等大変な事は分かりますが、その会には登録会員(年会費4,000円)、約30名、賛助会員(ST:4、PT:3、家族等)(年会費2,000円)、約38名もおり、特に専門家を擁する会は余り例がないと思います。
普通の組織なら考えられないことですが、障害者の視点に立つと見えてくるものは障害者の悲しい現実の反映です。民主的運営の施行は、権利と義務を論う舞台を展開できる別次元の健常者の社会であり、対等な人間関係を構築するには会員の能力の問題が多く必要な活動が勤まるには無理があります。だからこそ、会に参加しているんですから。恐らく余計な事を言うのなら他の会に行けばよいと言われたら大変です。
私は予想していたと言っても寂しい事でしたが、別な用事に忙しいには何よりだした。
ここまで行けば当然の帰結として構造的に行きずまると実感したいたからです。回復に比例してその流れが見えて来ました。
要するに会の目的から見ると会務の分担が有機的に機能しているとは思えなかった点です。
会務の分担とはこの会の場合、集会等の開会から閉会までの活動企画・計画及び執行は全て主のSTが担当し、補助的にそのSTの勤務している病院で指導している実習生が参加してます。会場確保・準備・連絡(会報作成)等事務は主に会計担当者=会長夫人があたります(だいぶ後になって判ったことですが…)。
会報では毎回の活動報告が出ますが、その内容は
まず例会には毎回、スピーチとしてテーマが会報に掲載され、当日それぞれ発言します。その発言内容をSTが白板(黒板)に書き出います。これはなかなか骨の折れる事で”大変だなぁー”と感謝を持って見ますが、この手法は他の会でも直面していますが、ST方の共通(恐らく研修会等で経験する)で、慣れてくると、私には少々マンネリ化の嫌いを感じます。今だから言えますが、そんな事を言う事はタブーでしょう。それに、他の会より事前にテーマを発表しているのは親切なのですから、分をわきまえぬ非常識と思うでしょう。しかし、かりにも”言語聴覚士”の指導の下での失語症者の言語活動ですから、ただ単に何か喋りさえすればいいとは言えないのではないでしょうか。
最初は緊張して殆ど声にならなかったかも知れません。その場をやり過ごすだけで手一杯でした。しかし、その中に記憶や思考の混乱と葛藤があることは専門家は理解している筈です。それを私は回復の途上で、私より言語障害に苦労している他の方の表情に出会う度に焦燥感を持ちました。特に、付き添えの家族は真剣に横で詰った話を誘導し、勇気付ける、”お父さん、旅行に行ったんでしょう!、あのレストランで‥‥注文したでしょう‥‥”。
私はその会で、失語症のリハビリの在り方の指導や解説を受けた事がありませんでしたので、ただ見守る以外何も出来ませんでした。恐らくそれまでやる必要はないし、それは病院に行けばよい。それは筋違いと言うでしょう。この会は家族と共に交流する会だと言いましょう。(それ以上は不毛な議論になりますから‥)。
言いたいことが篭るからこそスピーチの項目には神経を使っていました。”宝くじで3億円当たったら”、と言う課題には戸惑いました。私から見れば、具体的なものは特定できないとしても、何でも良いから言葉がよく使えるようになりたい、少しでも行動が楽になるよう肢体回復に使いたい事は聞かなくても分かっている筈が当然の事と信じていましたので、当日のSTを加えた会話のやり取りには殆ど躊躇なく進み、”1億円はSTの先生に、1億円は友の会に、残った1億円で旅行に行きたい”と言う主旨が多く、私はその空気に同化できない焦りと同じ障害を負っている周囲の人たちが不思議に見えました。
しかしその頃は漸く文章を書けるようになった時で外部事情にも疎く主張が安定いていないときでした。発症から約2年1ヶ月のことで、何時も落ち着かない日が続いていました。
しかし、スピーチのテーマは変わっても手法は同じで会報に載る内容は極めて省略された短いものでどうも発言者に意向に一寸ずれている点やニュアンスの違いが気に懸かりましたが、毎回、そのときだけの”聞き放し”でありました。
私は時間の経過=回復の過程で
『事に触れハラハラしている身内に、言葉の障害の「喚語困難」に触れてもいただければ随分気分的にも
救われると思いますが。
発音で言い直しをしている奥さんに「(字性)錯誤」が起こり易い失語症の症状を解説聞いただけで気が
楽になります。
回りくどい言い方を遮るのではなく「迂回表現」の特徴の解説は失語症に励みになります。
また、大の男が話しの途中から泣き出すのをさも同情の眼を注ぐより、正面から失語症の症状として
「集中力の低下、感情失禁」として受け止め、それらがやがてバリアフリーの構築になるよう努力して
創めて希望がもてる障害者の会の在り方と思うのです。それだからこそSTを”先生”と呼んでいるんでしょう。』
(* 虫のいい要求と思うでしょうが、当時は閉鎖的視界と限れれた人間関係で常に脅迫感まではいかなくても被害感に苛まれ
今から思えば思考が常軌を逸しているような感じを持ちますが‥)
と思っていましたから、それから8ヶ月後の集会のスピーチのテーマを見たときには、会に出席することに逡巡しました。
「もしも一つだけ夢が叶うなら」…は、私が教員の頃必ず指導の難しい命題でした。真剣に対応すればする程人を傷つける虞のある課題で、障害のギャップに闘ってる人には回答を強要する事にもなる事を考えていないのか疑問を通り越し怒りさえ感じました。
人は誰でも最も貴重なものを問えば、必ず今”欠乏”しているものを頭に思い浮かべるでしょう。貧困で苦労した方は即座の”お金。お金さえあれば何でも出来るし、手に入る”と言うでしょう。また重い病気に患っていた人は健康の大切さを身にしめて知っています。胃や心臓の悪い人はその臓器の場所から大きささえ実感していると言います。ある日仲間が集まって懇談中にそれぞれの大切なものに話題が集中したとき、矢張り、お金、健康、愛情、時間、友達、‥‥と出ていましたが、一人は下を向いて小声で”お父さん”と言った途端、傍にいた私は息苦しい沈黙にはっとしました。実はその少女の父親が3日前に死亡していたのです。自分だけの価値観は、”欠乏”に裏打ちされます。水がなければ10日とは生けて行けないし、空気がなければ10分と生けていられないことは誰でもよく知っていても、私の一番大切なものが空気と答える人は普通ではいないでしょう。
失語症の生活から脱却したい”思い”から片時も離れない障害者にナイーブな対応・心のケアーの考慮を求めることは甘えでしょうか。医療の専門職の企画に。
矢張り当日は古参な会員は別にして、言語の問題や障害の悩みが出ていました。しかし、そういう発表も単なる個別的事実の認識として聞き流す以下でも以上でもない出来事でした。また、その日のゲームとして、「しりとり歌合戦」も、外目には賑やかに映った歌かもしれませんが、健常者との一緒の進行に付いていけず少し惨めな気分になり、次の例会は欠席しました。
繰り返しで申し訳ありませんが、理解力の停滞しいた私は当時は判りませんでしたが、今やっとモヤモヤが整理できるようになりました。
つまり、集会の企画・運営はST、組織運営は会報の最後に1行掲載してある 「・・・の会」お問い合わせ **** tel‥‥ の方がやる分担配分があったのです。その後者の担当は初代会長婦人から3代会長婦人に引き付かれ会務の中核としての役目を果たしてきました。その際、会の慣れてくると、役務には明らかな境界を感じ始め、それが人間関係を含めある意味で余所余所しい隙間風として会のバリアーとしての限界を固定していると思えるようになりました。(中略)。
しかし、これも当時、この会の「存在本質、つまり創立趣旨・それを取り巻く周囲の環境等」の研鑽を欠いた浅知恵でした。
私はこう言う類の会は回復と個人それなりの社会復帰及び職場復帰が前提にあると思い込んでいました。
これも後になって知った事ですが、失語症者自体あまりおおぜいいる訳ではないし、指導するSTと事務能力のある人が1人いれば運営には支障がないのです。ところが最近高齢化で会員数の維持に苦労している所もあると聞いています。現にこの会の会員でも他の会から移って来た方、ご本人が会長として主催していても会員の消滅状態で閉鎖した方もおります。
実際問題として適当な会員数を確保できれば、器なりの作業で維持可能です。(勿論、企業と違い、本人及び家族等その障害との関係や関与に対する特殊な背景がある人でないと続かないのは言うまてもありません。) その点この会は、”失語症の友の会”といっても家族との交流に終始し、全国失語症友の会連合会に加盟していないし、対外交流もしていません。確かに関係者の努力は大変ですが、この会の主なSTはその地域にある大きな病院に勤務しおり、その病院の患者の場合が多く、(中には定期的に診断やリアビリに通う)、私が”単なる一本の木に過ぎない、森が見えない”と思っていたのは、つまり日頃の接触がなく会報のみで繋がっている亜流でした。従って、創立当時からのSTは別ですが、別のSTやPTとは上下関係を感じていましたし、毎回その病院に来ているSTの実習生(勿論その場のSTが指導担当)が参加しおり、ゲーム等の準備は1つの実習作業の一環としての意味があったと思われます。会員などには面倒見がよいので有り難い事です。下衆の後知恵になるかもしれませんが、会員が半ば自動的入るため会員の勧誘や他の会との会(ex.全国失語症友の会連合会・全国大会のへのお誘いはあるようですが)との交流には消極的な理由が判るような気がします。
従って、会報はさらっと概観に終始し、私のような失語症者の琴線に触れることはなかったのです。
そう言う環境では、私の混濁した知能では、私が目標としていたホームページが、明らかに矛盾だらけと思われる規約や狭隘な広報に馴染まない事の認識が欠けていましたので、いわゆる会の流れに乖離している現象を確実に把握していなかったのです。
当初はその会の行事を紹介し、主に失語症の生活必要情報源として作成する予定であったが、私のもとには最初の”会の紹介”以外待っていた情報が届かず、掲載した文章の欠けているいる部分や不充分な部分をもメールで質問してそれを補う程度でした。しかし、毎回感想などは送って一部の方たからメールが届きましたが、結局写真も含め、会報で見る限り個人の趣味の範囲としか評価されていませんでした。寧ろ、私の予想以上の回復に迷惑になる気配さえ感じ、ホームページの方向変換を考えました。結果的に見れば、それは私の回復途上の証明になると思います。(中略)
会報にHPのURLの行が抜けている事をSTに指摘した後、STからメールが来ました。
「……ホームページについては、以前、毎回の会報に載せようと言う話にはなっていました。……今回載らなかったことについて、「理由を書いたお手紙を会報に入れるつもりでいたのに、他にもたくさんお仕事があり、ついうっかりして」、ということでした。・・(中略)・・ただ、HPのあり方には、いずれ今後の方向性を考えていく必要性もあるのではないかと思い始めています。会の公式なにしてくださるのか、それとも、それとも**さんの個人のHPということになるか。それによっても、会報での扱いは違ってくるのではないでしょうか?。そうなりますと、とても私の一存ではお返事出来なくなります。できましたら、次回の役員会にご提起いただけませんでしょうか?。……」
、巻頭の紹介文の記載者=代表者の微妙な立場には言及を避けますが、1年前、文章がよく書けないし、HPには検査入院の際「ゼロからのホームページ」と言う本を購入やっとアップしてから1年経った今、作品には愛着はありましたが、会との対応に冷めていました。しかし、”役員会”には戸惑いました。役員会自体耳慣れないし、前に触れた通り、役員の個人事情が異なる障害者の組織の場合は単独には構造的に馴染まないが、それにどう対処するのか疑問がありました。それより私はやな予感を感じました。失礼な言い方で申し訳ありませんが、私の年齢まで日本人をやってくると、たいだい事の日本社会での成り行きは予想します。特に地域社会のいろいろな任意団体に係りあっての経験から、休眠している組織・役職・制度・人材等で事に対処する離れは技は、優秀な指導者の特権ではあるが、禍根を残す事が多い…私はそんな教訓を受けてきました。”策士は策に敗れ、知恵者は知恵に溺れる”、”すべて長所で滅びる・古代の恐竜のように”…逆説的教訓はまた真だと思っていますから、役員会はできれば避けたいと言う思いでした。
例会の後行われた役員会では参加資格をめぐり気まずい事があり、それは後のこのHPのタイトル変更の前章でした。まず、『「**の会」後期行事予定表』と言う表題のあるA4の用紙が配られました。内容は「9月20、21全国失語症者の集い 10月26日ヒ-マンプラザまつり参加 準備2〜3ヶ月前 10月〜11月 日帰り研修旅行 準備 2〜3ヶ月前 12月 日 クリスマス会、交換年賀はがき書き 準備 2〜3ヶ月」でした。
ほームページについては口頭で「どうしかすか」と言うだけで、誰も触れる気配か無く、と言うより言えないのが現状ですから、”費用もかかるし技術的にも問題があるので私の個人のもので結構です”、という一言で終わりました。議事の進行の途中において、”失語症ではできないんでしょ!”…事務担当者会長夫人のこの発言は私の胸に刺さり残りました。しかし、事前に、旅行に意欲を持っていた方が幹事をやりたいので協力して貰いたい旨要請もあり、少しもたつきましたが、行事の責任者を決めて散会しました。
矢張り、砂上の建築物に等しい規約で休眠していた”役員会”の活用は、英断とは裏腹に、関係者の間に禍根を残しました。要するに”区の障害者の合同祭りのヒュウマンプラザ祭り”、”研修旅行”、と”クリスマス会”との経過で、表面的には役員会のあり方をめぐる、いわいる”ごたごた”で、それらの行事は切っ掛けに過ぎないので、物語としては興味を注ぐものですが、割愛します。
そして旅行の終ったあとの例会終了後、初代会長婦人から、”このホームぺージは個人のものだから会の名前を辞めて貰いたい”との発言があったので、その旨伝達しますと言う他の役員から電話が入りました。私の欠席中のことですからいろいろ疑問もありましたが、そのまま受け入れました。
私は結論から言えば飼い慣れないブラックシープに翻弄された怒りのであることは判っていましたので、役員会のめぐる遣り取りとはお門違いでも、申し入れの通りタイトルを削除しました。もう私は会のHPには冷めていましから。
しかし、今までの経過を巡り、STとその環境に対応には納得できない疑問と批判が後から後から湧き上がり逡巡しました。
具体的に言いますと、この会は障害者の厚生より家族に視点をおいた会なので”社会・職場等復帰”の目標がないことが最大の欠陥である。勿論、言うまでもないが、失語症者も時々見かけるテレビ等の報道情報で見る限り、障害者でもそれなりに自立を求める要求があり、それが過去実績に中断や栄光があればそれだけ飢餓感があるのではないでしょうか。私がよく目にするHPに”若い失語症者のつどい”と言うサイトがありますが、だいぶさかんに活動しているようですが、”参加対象は20〜30代の失語症者とその家族、友人など”となっていので私が遠慮してますが、年齢制限の理由は何故か。また、最近問題になってる「高次脳機能障害」との関連を検証なしに失語症を理解できない筈です。(この問題は後述)。
その点、言いにくい事だが私が参加してきたその会は単なるサロンに過ぎない。家族との交流会なのでそれ以上触れることは適当を欠きます。しかし、よく見かける会を含め医療としての実践がない。生活情報がない。私の障害者手帳もたまたま知り合いの障害者の勧めで区役所に行き申請できたのであり、退院後の医療のホローがない。(私自身発症時の救急病院から転院した病院での約4ヶ月間でお世話になったSTは専門家としての指導を施して下さったのは確かなのですが、初期の私は記憶も定かでないほどその効果を実感・評価できなかった。)
例えば、最近、私は水戸のご老公の印籠に匹敵する印籠をみつけ、それ以来1人での外出は殆ど苦にならなくなりました。世間が広くなった。以前は、外出先で何か困って質問する際、そう時に限って口篭り言葉がもたつぐものですが、それは随分苦しいことです。
その印籠とは、私が身体障害者手帳の申請に行った際に障害者福祉センターでいただいた小さいカードで、”わたしは耳や言葉が不自由です。ゆっくり話をしていただけますか”、と文が書いてあります。それを障害者手帳に挟んで常に携帯し、人にものを尋ねるときには予めそれを見ていただくと、相手の方は私の状況を理解し、まったく別人のように親切に対応して下さいます。私は感謝をもって頭をさげます。嬉しいですね。微笑みに会うのは。
これはある失語症者の方たちの旅行参加したとき、初めての1人での現地集合に心配した妻が手帳申請に行ったときの書類を整理したとき、忘れていたカードを見つけたからです。これはどんどん利用して下さい。これこそ私のバリアフリーです。
『言語聴覚士』と言う資格は何か、またその職務は何か、・・・・私の疑問はインターネットで検索しなさいとあるSTは答えて呉れました。
膨大な内容の内1部を抜き出しますと
・ 日本言語聴覚士協会とは ; 日本言語聴覚士協会は、平成12年1月16日に国家資格を有する
言語聴覚士の職能団体として発足しました。多くの方々のご支援によって誕生した本協会は、我が
国の有資格言語聴覚士を代表する団体としての役割を担っております。平成14年12月現在で会
員数は約3,800名に達しました。
・ 日本言語聴覚士協会設立趣意書 ; コミュニケーション障害に関わる専門職が我が国に誕生して
から約40年が経過しました。私たちはコミュニケーションに問題を持つ方に対して、できるだけ質の
高いサービスを提供し、その生活の質の向上と社会参加を支援することを願い、日々の活動を行っ
て参りました。さらに専門的サービスを全国に隈無く行き渡らせ、自らの資質を高め、社会的な
責務を果たすためには、公的資格制度を確立することが必要であると考え、職能団体としての
活動を展開して参りました。1975年の日本聴能言語士協会の結成に始まるこの活動は、その後、
1985年には日本言語療法士協会の発足という経過をたどりました。両協会には資格制度のあり方
などをめぐるいくつかの意見の相違がありましたが、その違いを乗り越えて両協会の協力の下、
1997年12月には言語聴覚士法の成立を見ることができました。そして昨年3月、第1回国家試験
が実施され、4003名の言語聴覚士が誕生し、新たな時代の幕が開かれました。言 語聴覚士有
資格者の誕生に至るまでの道は決して平坦なものではありませんでした。…私たちはコミュニケー
ションに問題を持つ方々の生活の質の向上に貢献するとともに、人に与えられた宝というべ
きコミュニケーション能力についての知識を深め、その障害に対処する専門領域の発展に貢
献するために…。…現在、我が国の保健・医療・福祉・教育を取り巻く状況は急速に変化しており、
各方面でさまざまな構造改革が進んでいます。…(言語聴覚士協会理事会)
(この文中の太字、文字色とアンダーラインは当方で変更してあります。)
この設立趣意書は言語聴覚士の現状を的確且つ判り易く言及しているのは、矢張り、実際に一線に立って活動しておられる方々の揺るぎない自信の表れ思い、エールを送ると共に”本当にありがたい”と当事者の感謝と声が聞こえて来ます。以前から理学療法士、作業療法士に国家資格になっていましたが、無試験の状態ときには、ST養成校をでず、大学などで教育や心理を学んだ人や現場で介護の延長で働いた看護婦(師)や保健婦(師)がSTになったと聞いています。
厚生省の言っている「言語聴覚士法制定の目的」によると
”…リハビリテーションの推進を図るためには、その従事者の確保及び資質の向上が喫緊の課題となっています。
この法律は、このような現状を踏まえ、音声機能、言語機能及び聴覚に関するリハビリテーションを行う専門職と
して言語聴覚士の資格を定め、その資質の向上を図るとともにその業務が適正に運用されるよう規律し、もって医
療の普及及び向上に寄与することを趣旨として制定したものです。”
これの「目的」とそれに呼応する「日本言語聴覚士協会設立趣意書」は失語症者に限らず、まさに福音だと思い
ます。
・ 全国失語症友の会連合会理事長の橋本一夫氏は、言語障害者の代表として、訪問リハビリに言語
聴覚士を位置付けて、もっと言語聴覚士による言語訓練を受けられるような体制が必要であることを
訴えた。さらに、身体機能障害や言語障害についての知識を持ち、障害者の心理面にも対応できる
ケアマネージャーが必要であると述べ、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士のケアマネージャー
が増えて欲しい、と発言された。(日本言語聴覚士協会・介護保険フォーラム2002開催記;平成14年
12月8日東京都小平市)
・ 『言語聴覚士の言語聴覚士法制定の目的、言語聴覚士の定義、受験資格について、言語聴覚士
国家試験について、指定試験機関・指定登録機関について、現任者の扱いについて、厚生大臣の
指定する講習会』のそれぞれの項目については厚生省ののホームぺ-ジに
言語聴覚士及び言語聴覚士指定講習会について に記載してあります。
・ 「第6回言語聴覚士国家試験の施行」の発表;厚生労働省のホームページに
「言語聴覚士国家試験」の項目に出ていてその中の全て記載してあります。
これを開くと言語聴覚士の輪郭がわかります。
・ 国家試験の問題も掲載してあります。問題は問いに対する5つの説明・条件文等から設定されてい
る答えの内適当なものを選ぶと言う方法で午前・午後でそれぞれ100問合計200問で、専門的知
識のない私には程度は判りませんが、障害者の実感で理解できるものも稀に数問ありました。
問題58 「ごはん」を「doan」と言った場合の誤り方はどれか。
1.置換と歪み
2.置換と付加
3.置換と省略
4.省略と歪み
5.付加と歪み
<解答例>:3
・ 因みに、言語聴覚士国家試験勉強ソフトとして参考書の説明もあり、状況が許せば購入したという
意欲を私もっています。
”とっくんちゃんIII 2003年版 作者 久保田功(近畿大学耳鼻咽喉科言語聴覚士)
これまで受験された方に大好評のゲーム感覚で勉強できるツールです”。
また、インターネットを見ていると私が見始めたときから比べてみると失語症のサイトの数は余り変わらないが同じ範疇にある「高次脳機能障害」のサイトが急激に増加していることに気が付きます。そして、その中にある高次脳機能障害の解説は、その症状の分類と共に、判り易く比較して説明してあり、当事者達・家族達のコメントがあるものが少なくありません。
その1つには
・ 『 入院していた時に、同室に失語症の人がいたのですが、体に麻痺などは何にもなく、スタスタ歩
いていて、一見なんともない人のように思えたのですが、僕の言ったことはちゃんと理解してくれて
いるのに、言う事が文章になってなくて、会話が成立しないので、書いてもらおうとしたのですが、
もっと駄目でした。
・ 色々持ってしまった障害の中で失語症が、一番重大です。』
『高次脳機能障害』と言えば、当事者及び家族は勿論ですが、医療の現場で最近とりあげていますが、障害の点では判り易く言えば、障害手帳の対象にならないことです。
ここであるソーシャルワーカーの講演記録(片マヒ自立研究会 江嵜氏編)によると
・ ……
手足の動きなど身体に障害があれば、これで障害の認定(障害手帳の交付)が取れます。とこ
ろが、手足の動きに全く問題がないのに高次脳機能障害だけの症状がある人は、認定の段階
で困るわけです。生活障害だけでは障害手帳がもらえません。身体障害の認定は「身体の動き
はどうか?」をメインに作れています。言葉(失語症)で認定されている人もいますが、失語症は
手足の障害を伴うことが大半で、失語症だけという人はまれです。生活障害は、ご本人も家族も
大変です。それに対して「何とかして欲しい!」という声が今から数年前、家族の間からあがりま
した。障害者手帳がないと、リハビリテーションセンターやリハビリテーション病院にはいれないの
ですね。日本の病院には高次機能障害対応のノウハウがなかったので、厚生省でも誤解があ
りました。
そこで高次脳機能障害の家族会ができて、現在とても大きな会になっています。
精神障害者には精神障害手帳があります。実はいま、無理矢理に認定してもらうということで、
精神障害手帳を流用する、という方法をとっている人がいます。精神科の先生に診断してもら
い、手帳を書いてもらいます。ところが、精神科の先生方が高次能機能障害に全てに明るいわ
けではありません。精神疾患と症状は似ていても、原因が全く違うわけです。ですから、高次脳
機能障害を見立てられる先生がどこにもいるわけではありません。
大都市では、精神保健センターや脳外科で手帳を書ける先生がいます。一方、親御さんの感
情としては「我が子は精神病ではない、怪我によるためだ!」と思いもあります。本人もまた、精
神科に言って「何が何でも手帳が欲しい!」というような判断や理解ができにくい人が多いのです。
精神障害手帳があれば、いろんなサービスが受けられますよね。
一番大変なのは、こういう障害を持ちながら若い人たちが社会復帰していくという場面です。
社会復帰のハードルが高いのです。
……
(…高次脳機能障害の疾患内容は割愛させていただきます。
下の東京都のパンフレットのと同様な点が多いと思います…)
・ 東京都衛生局 医療計画部 医療計画の発行のパンフレットによると
「高次脳機能障害の理解のために」によると、「高次脳機能障害は、病気や交通事故などの様々な原因で脳の一部が損傷を受けた結果、言語や記憶など知的な機能に障害が起きている状態を言い…、……都の調査では、原因疾患の80%を脳血管障害が占め、次いで頭部外傷が10%を占めていました。」
・ そして「脳の損傷部位によって、様々な症状や障害が出現します。」として、障害の症状とそれに対応する分類する説明が添えてあります。
分類は10であり、その症状の説明(その内容は割愛します)は障害当事者には判りやすいと思います。
1.失語症
2.注意障害
3.記憶障害
4.行動と情緒の障害
5.半側空間無視
6.遂行機能障害
7.失行症
8.半側身体失認
9.地誌的障害
10.失認症
・ 一方の医療現場では、「ある医科大学リハビリテーション医学教室の『リハビリテーション医育成機構・**リハビリテーション研究会』のHP上で、”リハビリテーション医療についてのFAQ”の担当者が質問に対して回答を出しています。
質問 ; 良いリハビリテーション病院を紹介して下さい。
回答 ;
(1)理学療法士(PT)だけでなく、作業療法士(OT)、言語療法士(ST)、ケースワーカーが常勤でいる。
最近はPTのみの病院は少なくなってきましたが、失語症や嚥下障害(のみこみの障害)があるのに、STがいない
病院に入院してしまい十分な治療を受けられない、ということも少なくありません。STは国家資格ができたばかりで
診療報酬も低いので、病院の経営からみれば雇いにくい面があるために、ST不在の「リハビリ病院」も沢山あるの
です。(以下省略)
・ 横浜市脳血管医療センター:リハビリテーション部スタッフ:言語聴覚士(Speech Therapist)
”コミュニケーション能力の障害が軽減するよう相談・評価・指導・訓練などを行い,自立と受容を援助します。”
そして親切なところはチーム医療の必要性を言及しています。
要するに”失語症”は”高次脳機能障害”の1分野として考え・受け入れなけれが現状に合わない事は明らかなで、それは全ての分野で実証済みだと思います。科学の進歩はヒトの権利を拡大し、それは病気との闘いで医療として生きる権利の拡大を担っています。しかし、医療や社会の発展は新しい事柄や病気に対する挑戦でもあります。医療が高度に進むにつれ逆に疾患は増え複雑化します。卑近な例は最近のモータリング技術の進歩でバイク等の交通事故の増加と同時にその医療措置の発達は以前の死亡事故を命長らえ能機能障害を残す方が多いようです。そう方が多くなると従来と異なり、脳機能障害でも症状の程度・種類・年齢が変わり、特に”職場復帰・社会復帰”が避けて通れない問題になります。臨床的対応も変わりざるをえないと思います。それが時代の要請でもあると思うんです。
皮肉に思えるかも知れませが失語症者のもそれなりの社会復帰の道が開けるでしょう。
”失語症”と銘打って活動する学術及び知識団体は、恐らく、内容と名称が変わるのではないでしょうか。そんな感じを受けています。
また、この期間、他の失語症の会や集会に参加し、また別な病院のST(経歴25年以上に)会い、一般的なSTの業務とその歴史の説明名を受け相談しました。「高次脳機能障害」の講演会、全国失語症友の会連合会・東京支部主催「失語症セミナー」に行きました。
以前の私の掲載文「失語症を考え・語るぺ-ジ」で「失語症の会が、場合によっては行政の行政による関与、つまり具体的には予算と施設の使用により、やがてピラミット型ならぬ灯台型の組織が構築されます」書いて有りますが、この点でも区役所に行き、行政の担当者を通じて予算の内容及び執行領収書等確認に行って来ました。担当者は快く応じて必要な資料等だして呉れましたし、関係施設の事務担当者へにも連絡もして下さいました。また、そのとき「高次脳機能障害」について課長から話を聞いて来ました。
時間があるときはなるべくインターネットで関係ネットを開きました。
以上で現状の問題の輪郭が把握できたような気がします。
しかし、同時に私の葛藤の警告でもありました。
そうしたあるとき、あるの会に出席しました。そこの出席者から「臨床リハビリテーション心理研究会シンポジュウムの報告」があり、
”基調講演 「障害受容方法論再考ーコミュニティの基づく援助のすすめー 南雲直二」
1.障害受容ということ
………”
と言う表題のパンフレットを頂きました。それには基調講演の内容を障害受容の定義から全般的に整理されていました。そして、最後には参加者の意見として、”…障害者としては、クオリアの領域があることを自覚しておかなねば、社会の無理解を嘆くことになる。このクオリアを減らす工夫として、てきるだけ、幅広い層に訴えて共感を得る活動を実践したい。…” とい見解が載っていました。
恥ずかしいことですが、元々、”障害受容”と言う言葉も初めて対面したので、文章の内容が理解できず漢字を目で拾う程度で行を追ってくうち、ハッとして目が醒めるショックを受けました。
『……障害者は「穀つぶし」として社会のマイナス存在でした。……。』
この難解な文で私の世界に通じる会話に出会ったのです。昭和の戦中・戦後の飢餓の時に、子供でも労働力として組み込まれ狭い人間関係と柵にひたすら付いていく以外生きる術のない桎梏の時代、”穀つぶし”は肌を揺する圧迫感のある響きでした。
いま何も世の中に何にも役に立っていない障害者の自分・穀つぶしを検証し、また、社会と個人との”障害受容”を持って整理しないと一切先には進めない圧力を感じました。私は余りにも重過ぎる課題のその会の先輩方に伺いました。どなたも親切に返事を返して下さりました。ご本人の障害受容の見解を長い文章で書いて頂いた方、更に資料を添えて送って頂いた方、また、メールで参考図書の説明を送って頂いた方、どなたも感謝以外言葉が見つかりません。(しかし、残念ながら私の能力では消化するには力不足です。頑張りたいです。)
それと共にこれも送って頂いたファイルにあったインターネットの障害受容のサイトを開いています。
でも、私はこの疾患以来脳生理に何か設計変更や陥没が起こったかのようです。飛び込んだ1つの事柄が心にかかるとまたその対応マニアルも変わるようで、統一的演繹思考は断続し、”障害受容と穀つぶし”は日や時間によって動揺していました。
社会受容と自己受容の迫で我が老醜の姿に慄き、自己卑下に陥り自分自身のアイデンティティの否定に悩むこともあり、穀つぶしの私が失語症の会にもの申すなどとんでもない顰蹙ものと真剣に感じました。都会の一角でささやかに営む失語症の会に波風をたてれることの意味が理由が何であれ決して許されないことと懺悔を迫りました。また、時期が過ぎて色あせた、街の、衆議院選挙のポスターを見て、”日本の未来は 「惰性の打破」から”、と言うスローガンに頷き若い政治家の気負いに心に拍手を送り、急いで家に帰りよく判らない資料を読むこともありました。
氏のように”幅広い層に訴えて共感を得る活動を実践したい”と言う心境は到底訪れて来そうもありません。(しかし、氏が障害受容についての研究会を開く予定があると聞いていますので楽しみにしてます。)
矢張り、生ある障害者としては、この年齢で論理の退廃とも言えるブラックホールに堕ちるわが身を睥睨し、可及的すみやかに脱出するべきとして掲載する事にしました。
2004.1.25.
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