ブリコラージュ12月号失語症デイ特集号で佐藤誠一さんは次の通り言及しておられます。

   失語症友の会から始まった失語症デイ
 
失語症友の会の活動、そしてもっと定期的に集まれる場所を目指して(ST佐藤誠一)

 デイサービス「言葉のかけ橋」は、失語症の方のための通所施設を目指して2006年4月に開所しました。

 私は病院で失語症の方の言語リハビリに従事して20年になり、現在も回復期や急性期の病院に勤務しています。STの仕事を始めてすぐに、失語症の人の多くは周囲の人と通じ合うことができないために孤立感を深めており、ご家族の方たちも大きな不安やストレスを抱えていることがわかりました。外来で言語リハビリを続けている人たちからは「周りに話し相手がいない。楽しいことなど一つもない」という声を聞くこともしばしばでした。失語症の人たちが地域で元気に暮らしていくためには病院の中の言語訓練だけでは限界があり、在宅生活を豊かなものにするための援助が必要ではないかと思いました。

 地域リハに関心のあった私は、失語症の方たちと長期的に関わっていきたいと考え、ST3年目の時に周辺の病院のSTと共に当事者たちに呼びかけて「失語症友の会」を立ち上げました。月に一度、地域の福祉センターに集まって会話や言語ゲームなどのグループワークをしたり、お花見会や温泉旅行などの活動を通して、お互いの交流が深まるにつれて失語症の人たちが自信や元気を取り戻していくことを経験しました。

 岩手の地域活動でもたびたびお世話になっている遠藤尚志先生は介護保険が始まると、この制度を活用して失語症の人たちが毎日でも集まれるデイサービスをつくろうということを提案されていました。私も在宅の失語症の人たちが安心して集まれる、もっとしっかりした場所があれば…と考えていたので、とてもいいアイデアだと思いました。

 心の中でいつか失語症デイサービスをつくろうという夢を暖めていましたが、盛岡市の中心部にある私の実家で碁会所をやっていた建物が空き家になることになり、小規模デイに利用するにはちょうどよい規模で交通の便もよいことから、ここで失語症デイをやりたいと思いました。

 遠藤尚志先生に相談しながら具体的な準備に取りかかり、開設資金の捻出、建物の改修工事、介護保険指定事業者の申請手続き、失語症デイ開設の説明会など、目まぐるしく忙しい1年になりました。

 「言葉のかけ橋」のスタッフには、失語症友の会にボランティアで参加していたケアマネジャーである私の妻のなおみに所長になってもらうことにしました。また妻の特養時代の同僚だった介護職の山尾さんや、軽度の構音障害と右半身マヒがあり私の担当患者だった調理師の原田さんが食事や送迎のスタッフとして加わりました。要のスタッフであるSTは、昨年12月に盛岡で開催した「失語症いきいきコミュニケーションのつどい」にたまたま学生ボランティアで参加した高橋英子さんがその翌日電撃的に就職を決めることになりました。高橋さんには遠藤尚志先生が坂戸市に開設されていた「デイサービスはばたき」で数日間失語症デイのSTとしての研修を受けてもらいました。

 失語症デイサービス「言葉のかけ橋」のスタート

 そして4月2日開所式を迎えました。当日は失語症友の会や関係者の方たち四十数名が集まり、リフォームしてデイサービスらしくなった「言葉のかけ橋」とスタッフのお披露目をしました。長年思い抱いていたことがようやく実現した喜びと共に、明日からの新しい仕事への緊張も感じました。当初は定員の10名の方たちに毎日通っていただけるのかだろうかという不安がありました。しかしデイサービスとして障害の重い方にも利用していただくこともでき、また見学に来てすぐに利用を決められる方も多く、半年あまりでほぼ定員が埋まることになりました。近隣の市町村やなかには新幹線を利用して遠くからご自分で通われている方もいます。経営的には決して楽とは言えませんが、利用者の方たちに喜んで通っていただける限り何とかやっていけるという実感をもっているこの頃です。

 失語症ライブに出会って(デイサービス言葉のかけ橋ST高橋英子)

 私は言語聴覚士の専門学校に在学中に遠藤先生の失語症ライブに参加しました。この日が私の運命の分かれ道となったというと大げさでしょうか。
 その失語症ライブが行われたのは岩手県盛岡市でした。「失語症友の会」のクリスマス会で失語症ライブがあったのです。

 参加してまず感じたのは、その日初めて会うお隣の方との距離が不思議なことにあっという間に近づいていくことでした。大勢の人の前で話すことがプレッシャーになることが多いなかでこんなにも多くの当事者の方が参加されていることも驚きました。
 当事者の方が一言一言話す言葉をとても大切に受け取って包み込む雰囲気が会場に満ち満ちていて、決して言葉をうまく話せることだけを要求されない雰囲気に私もすっかり魅了されていました。そして、ご家族の方が熱心に関わっている姿も印象的でした。そういったなかで、今日この日にこの場所で出会えたことを大切にしたいという思いが自然に芽生えました。
 そんな不思議な一体感と相乗効果、けれどもきっと遠藤先生の綿密に計算された失語症グループの一体感と相乗効果に私はすっかり引き込まれていました。


 
突然の失語症デイサービスへのお誘い

 そんな感動的な失語症ライブの後、平成18年4月に盛岡市に開所予定の失語症デイサービスへの就職の話が舞い込みました。私はその日友だちと3人で参加していましたが、他の2人はすでに就職が決まっており、私に白羽の矢が立ったというわけです。とても魅力のある領域だと感じましたが、もう何がなんだか分からないフワフワした雲の上にいるような気分で、その時の遠藤先生の話はあまり覚えていません。結局、「明日デイサービスの予定地を一緒に見に行きましょう、それに来たら採用です」ということになりました。その夜、失語症ライブの余韻に浸りながらも私には迷いもありましたし、失語症デイサービスって実際にはどんなものなのだろうかなど考え、一睡もできませんでした。翌朝、私は私の直感を信じ、待ち合わせの場所に向かったのでした。

 
失語症デイで働いて 

 4月の開所当初、とにかく私も緊張していますが、利用される失語症の方たちの緊張も手に取るようにわかりました。解決策はというと、研修の際に遠藤先生から教えていただいた「ここ(失語症デイサービス)に集まった時点で、もうほとんど成功している」という言葉でした。さまざまな経験をされた人生の先輩である利用者の方々が失語症をもちながらそれと共に生き、さらに仲間を求めて失語症デイサービスに来られるというそのこと自体が家族関係や社会関係の葛藤や不安を乗り越えて、あるいはその途中にいながらその場所に集まり、一日を過ごすということ自体がとても意味のあることなんだろうということです。

 そういう思いをもって来られる方々に対して、失語症デイサービスでの言語聴覚士の役割はまずは仲間づくりなのだと思います。その仲間づくりが楽しい点でもあり、また難しい点でもあります。仲間といってもいろいろなタイプがあります。何でも許せてしまう仲間、ライバルで張り合いながらも認め合っている仲間、いろんな仲間のかたちがあり、関係性は一筋縄ではいきませんが、まさにそこが社会なのではないかとも今は感じています。まずは「言葉のかけ橋」に集まること。そして楽しく、受容的な雰囲気の中で話すことや他の方の頑張っている姿を見ることが何より利用される方々の励みになったり、そこから仲間意識が生まれてくるのだと思います。

 利用される方には、それぞれの家族関係や社会関係の中でさまざまな思いをもちながらもデイサービスに来た時には少しでもその荷を降ろし、たわいもないことで笑ったりおいしい昼食を食べて「おいしいね」と話したりできる、そういう安らげる環境づくりをして迎えることがとても大切なのだということをこの半年の中で実感をもって感じています。

 現在は、入院日数が短くなったことにより利用者の中には退院直後の方も増えてきています。そういった方々のニーズはまずは言語の回復であることが多いのが現実です。私自身の未熟さでなかなか期待に沿えないこともありますし、言葉の回復には長い時間がかかりますので、なかなか結果が見えてこない方もいらっしゃいます。

 しかし、そういう方に、自分が昔看護師さんにつくってもらった絵カードを使ってみてはどうかと持ってきてくださる方や、自分が病気になった時も同じようにほとんど言葉が出なくてつらい思いをしたことなどを話してくださったりと、失語症の先輩の経験がいろんな方との関係性を紡いでいるようです。

 そして、言葉の回復は思わぬことがきっかけになることがあるのです。重度の失語症の方で、自発的には母音のみの発声が可能な方がいます、しかし、歌を歌っていただくと右に出るものはいないほど滑らかなのです。初めの頃は、利用者の方もその人を話すことがとても大変な人と見ていました。

 しかし、ちょうど七夕の季節にその方が「ささの葉さ〜らさら〜♪」の歌をなめらかに歌ったことで事態は一変しました。「すごい、すごい!!」の大歓声と、利用者の方と職員合わせて12〜3人ほどでしたが割れんばかりの拍手が起こりました。その日から、その方が名前を言うのが難しくても1〜10がなかなか言えなくても皆さんのその方を見るまなざしは違っていました。そして、そのような周囲の変化は失語症の方にとって非常に大切なことなのです。たとえ名前が言えなくても1〜10までがなかなか言えなくても、歌ったら自分なんかとてもじゃないけど敵わない、と周囲に認めてもらえることが本人にとってとてつもない自信となったのです。

 その方が来られて4か月ほどになりますが、今は名前はいっしょに言うことができますし、1〜10も職員といっしょにところどころ言うことができます。そして、「おはようございます」「ありがとうございます」は自宅で練習されていたこともあり、今ではいっしょに言うことが当たり前になっています。最近は「えーと」「あのね」などの言葉も出てくるようになりました。

 言語の回復には、本人の努力や意欲はもちろん必要ですが、周囲の方が希望や期待をもちながらもその方をそのまま受け入れることで、本人の大きな自信につながるのだなと、改めて感じました。

 失語症の方は自分の思いをなかなか伝えられないために葛藤の中で毎日を過ごされています。一番はもちろん、家族の方が理解し支えていることと思いますが、家族のほかにその人を理解し、ありのままで受け入れてくれる環境があることもまた失語症の方にとって必要なことなのです。そのことが自信となり言葉に対する意欲につながり、結果的に言語の回復に繋がるということをデイサービスで業務をしながら感じています。