![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||
失語症を考えるためには先ず障害程度級を睥睨して下さい。 病気や怪我による脳血管障害は重い後遺症を残します。最近、発症の年齢、原因、類型が変化してきましたので、それに対応する医療治療技術・施設・受け入れ制度等変革してきております。私は、本来、障害当事者(時には家族等関係者)の日常生活を援助する面と共に、自己の障害の実態を社会的枠で把握し、かつまた、現在及び後の人生の構築をする展望の基礎資料と思っていました「身体障害者障害程度等級」が、脳梗塞発症後、回復に向かうにつれ現実との落差に出会うことが多くなりました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
しかし、一人の障害者の立場に立ってよく考えると、私の狭い生活環境で体験・観察したものは極々障害者の一部ではありますが、身体障害者手帳の級別の項を比較すると障害の実態が等級にそぐわない感じをもっています。 しかし、特定の方の戦傷者手帳と被爆者健康手帳を除くと該当する手帳は、@身体障害者手帳 A愛の手帳 B精神障害者保健福祉手帳 の3種類になると思いますが、行政の発行している「障害者福祉のてびき」によると、 @は、「身体障害者(児)が各種の援護を受けるためには、身体障害者手帳の取得を必要とします。(後略)」。 Aは、「知的障害者(児)が各種の援護を受けるためには、東京都が発行している手帳です。(中略)。次の場合は、届け出が必要です。(中略)D満3歳、6歳、12歳、18歳になった時。また知的障害の程度に著しい変化が認められる時は、再判定を受け、手帳を更新する必要があります。」 Bは、精神障害者保健福祉手帳であり、身体障害者手帳とは役所の対応部署が別になっています。手帳について殆ど知識のない私は身体障害者手帳の担当部署・障害福祉課の職員が身体障害者手帳の説明後親切に私を担当部署・「保健所保健予防係」へ誘導して下されました。そこでは担当者は該当するファイルを開き、その中から認定基準についての書類を取り出し、 “この状態ですから文面を読んでも恐らく専門家でないと理解出来ないでしょう”、と見せてくださいました。その中には数項目に亘る内容が詳細に記述してありましたが、仰る通り勿論、私にはその内容を読み取る事は全く出来ませんでした。 てびきでは「精神に障害があるため、長期にわたって日常生活に制約を受ける方の社会復帰や自立、社会参加の促進を目的として東京都から交付されます。」となっています。 そして、てびきを見る限り、身体障害者手帳は援護、精神障害者保健福祉手帳は社会復帰や自立、社会参加の促進を謳っています。精神障害者保健福祉手帳については年齢による再判定の必要がありますが、それは、年齢の低い場合、特に幼児の場合、脳の可塑性が旺盛ですから将来社会生活に適応の可能性があり、過去の事例があるからだと思います。 最近よく言われた手帳が取得出来ず必要なリハビリの援助に困っている高次能機能障害に平成16年から判定基準が決まったようで、それを取得した手帳を見ますと表紙は単なる「障害者手帳」ですが開くと、“精神保健及び精神障害者福祉に関する法律45条の保健福祉手帳”との記述があり、2年毎に更新することになっています。 私の知り合いの方は、4年前57歳のときに脳出血で倒れ2年間は休職とのし定年を待たず退職した方がおられますが、診断は高次能機能障害でした。私がお会いした時は、…言葉も手足も見かけは殆ど変わらないようで、毎日運動として約4キロ歩いている、プールに行って600メートル位は泳ぐ、しかし、簡単な計算ができなくなり日課として公文の問題集をやっている、喋る事は良いが文章を書くことは苦手であると言っておられましたが、私がお会いした時には…必ず口癖くらいに毎回言い続けることは、練習を実行している車の運転が未だに出来ない、40年間車を乗り続けてきたのに、再就職は覚束ない、2年毎の更新はたいぶ負担になっている…という事でした。 * その後6ヶ月に何回かお会いしましたが、その都度明るくなっていくのが感じられました。 会話は全てスムースで内容も淀みなく、担当医の下でMRI撮影写真を見てしょげ込んでいた私を、“リアビリを地味に続ければ必ず快方に向く”、と勇気付けて頂きました。 近況報告では、朝5時〜6時に起きて歩くことを日課としている。走ることが多く、以前は4キロに50分を要したが今では24分で出来る。公文の問題集が足し算、引き算、掛け算、割り算の各1セットになっていて、200中既に191まで来ている。以前1時間かかったものが38分できるので、7月末までに200問を25分で出来れば車の運転も可能だろうと言うことでした。 しかし、私が最も驚いたことは、次の彼の一語でした。 “私が公文をやっているのは単に計算練習としてではなく、時間を限って正確に対処することで車の運転安全対応能力を確認する為なんです。事故を起こしたら大変ですから、…。” 私自身、彼以上と言っても良い位車に執着していましたので、彼の意欲はよく理解していましたが、公文に対する姿勢の変化には内心戸惑っていました。 そして、1ヶ月後、明くる例会で彼が殆ど同じ報告をした後、その場に居合わせた方から発言がありました。 “私はこの病気になったとき免許は返しました。あなたは足も私よりずっと良いようだから何も車に乗らなくてもいいではないか…”。 このような意表をつかれた場面にはどなたも遭遇した経験があると思います。後のことはご想像下さい。 確かに、手帳の認定基準及び認定者の判断の妥当性の問題と別に、回復の経過・結果における障害者の意識には、特に障害受容の点で、落差を感じています。しかし、障害を克服し社会復帰している人、再発で更に苦しんでいる人、…みんな一生懸命生きようとしています。 2005年5月4日に「事故後10年ぶりに意識を回復した米消防士」の話題が報じられました。その1つを掲載します。 勿論、10年間に種々な医学的な治療が行われていたことは言うまでもありませんが、これは脳障害、特に外的脳障害の回復の可能性の検証になるでしょう。 以上失語症の置かれた立場を考える1つの前提の観点から見た障害福祉手帳の概要を見ましたが、ここで、本来の目的である“失語症”を改めて見直したいと思います。 私は脳梗塞になってから、即ち、失語症になってからそろそろ6年になります。 * ここで「かぜ」について検証してみますと、 現代ではかぜと言われる疾病は、その原因のほとんどは、ウイルスであることがあきらかにされています。ただ、その原因となるウイルスの種類は多く、どのウイルスによるものかを確定することは、一般的には困難のようであり、また、かぜとまぎわらしい病気として、花粉症(くしゃみ、鼻水、鼻づまりを主症状とする)、 肺結核症、細菌性肺炎、肺炎、(せきぜんそくと呼ばれるせきが強い)、腎盂腎炎(これによる高熱、腰痛、関節痛)等があるようですが、医療知識があまりなかったときには、殆ど同じ症状の病をひとまとめにして“かぜ”と言っていたようです。従って、現在脳卒中といわれる疾患が脳の内部に起因することが知られていなかった(知られたのは江戸時代の終わりから明治頃)ため脳卒中という病名は無く、中風や卒中風と言われていました。 貝原益軒は、『養生訓』の中で「中風は内に生じた風にあたったもの。体が肥えて色が白く気の少ない人が、四十歳を過ぎて気の衰えた時、七情の悩みや酒食の損傷によってこの病気がおこる」と書いている。 古川柳にもいろいろあります。 家督公事もとのおこりは卒中風 また、小林一茶は58歳で中風を病んだときの歌が残っています。 私は一時、“脳卒中”と言う言葉の語源を知りたいと語源辞典を調べましたが、何処にも載っていませんでした。たまたま知り合いのからの紹介で読んだ本の中に語源にあたる説明を見つけました。 編著者 山口 武典 国立循環器病センター名誉総長(脳血管外科) 「脳卒中ことはじめ」 です。 この編著者の方は、日本脳卒中協会会長・日本脳循環代謝学会会長等々勤められておられ私たちには雲の上の方ですから、その方の著述に触れることは天に唾するに値する恐れ多いことですが、敢えて、氏の「まえがき」の冒頭の部分を紹介させて頂きますと、 ここで言われる“邪風”ですが、邪風は“悪い風習。悪風。”としての意味で使用される方が多いようで(正法眼蔵、源平盛衰記、芭蕉書簡等)、一部(延喜式)、“害をもたらす風。悪病を運ぶ風”という意味に使用されてようですが、それも疾病自体を表現したものではなく、言葉に制約がなくなった最近では、もっぱら“わるい風習”(広辞苑)として使用されています。 「邪風に中(あた)れば撃仆(打ちのめされ)、偏枯(半身不随)となる」 という記載があると言われていますので、それに準じていると思われますが、その場合も直接病気を指しているのか又は周囲に蔓延る悪病を運ぶ風を意味さしているか議論の分かれるところであると思います。 (しかし、この問題は本題と反れていますし、重箱の隅を突くという誤解を招く危険がありますので、敷居値を高くしたいのでこのことは別な機会にして本題に戻りたいと思います。) また、氏はよく講演されるようで、あるときの講演記録によると 脳卒中とは「突然悪い風にあたって倒れる」という意味であり、その症状は意識障害、運動障害(半身が動かなくなる)、感覚障害(半身の感覚が鈍くなる)、平衡障害(ふらつき)、けいれん(大脳皮質が障害された場合)、視野障害(後頭部が障害された場合)、視力障害(眼の動脈が詰まった場合)、頭痛(出血した場合)、痴呆(多発性の脳卒中の場合)などがあります。症状としては、運動障害(片麻痺)が最も多くみられます。… 何れも、氏は恐らく素人に分かり易く説明するために、この疾病の“卒中”の意味を強調されたものと思いますが、“脳”と“卒中”との合成語、つまり脳卒中は、当然の既存語と受け入れています。 しかし、どの統計か知れませんが、ある本によると、「2002年に発生した全ての脳卒中のうち、約64%は脳梗塞で占められている」と言うことですから、“卒然として”・“突然”を強調することは大切なことはよく分かりますが、同じ脳梗塞でも卒中という症状がなくても「無症候性脳梗塞」と言われる血管梗塞があることにも大いにご配慮をお願いしたいものです。 今から8年前になりますが、当時退職しておりました私の親しい先輩Kさんに連絡が出来ず待っていましたが、ようやく連絡ができたときは退院後でした。「どうも体調が悪く…」と言って私にお話をしてくれた事によると、手足の動きがぎこちなく、少しろれつがまわらないので医者に相談したら、直ぐ検査になりそのまま入院したとのことで、当時の私は脳梗塞と言われても全く分かっていませんでした。 私事で申し訳ありませんが、私はKさんに忙しいといって疎遠になりがちでしたが、私の退職で漸くゆっくりと合える、旅行も一緒に行ける、いろいろ相談もしたいと交流の再生を心待ちにしていました。しかし、最も気心の通じた無二の先輩Kさんが私の退職と時を一にして他界されたのは私にとってあまりにも耐え難いほど大きな空洞を残しました。今でも何かにつけても在りし日の彼の仕草や表情を思い出します。 しかし、言うまでもなく、実際には専門医はその点は疾うに対応しておられます。時には区別なく使用される事があるようですが、ややもすれば曖昧な「脳血管障害」(cerebrovascular-diseases)という用語を用いてそのなかに「無症候性脳血管障害」を卒中から隔離しております。 1. 脳血管障害(脳卒中)とは つまり、一患者の私が申し上げるのは少々憚りますが、脳卒中の名称は、以前、発症時の外科的対応を前提に治療に携る脳神経外科の発想のよる命名と理解することが適当と思われます。つまり、脳疾患で脳卒中を含めて後遺症を包含する場合は、『脳血管障害』(cerebrovascular-diseases)が定着するものと思われます。 そこで @ 脳卒中という名称は実際のところ、その患者(当事者)からは直接聞く事はあまりありません。私も含め、自分の疾患について言う場合は、“脳梗塞”、“脳内出血”、“くも膜下出血”、“一過性虚血”、“高血圧性脳症”等具体的な疾患名、つまり、医師から診断された診断名で表現し、自ら脳卒中という方は少ないようです。それは当事者からすれば自分の疾患について最もダイレクトな表現ですが、中には脳卒中ということばからマイナスのイメージを連想することを避けている方も少なくはありません。 いま、私は自分の回復について模索しておりますが、いろいろの資料の分類に戸惑っています。特に、脳血管障害による脳細胞の壊死とその代替機能の回復の可能性に興味をもっています。そのためにはせめても脳卒中の輪郭を確認したいと思っていました。 *(追加:**追加文の配置が多くなり本文の主旨が損なわれることになりそうで心配です) つまり、残った人生をそれぞれ全く変った生活スタイルで構築することになります。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
昨日も知り合い2人と相談しておりました。私はHさんのことを話しに出そうと思いましたが、氏名が思い出せません。ガソリンスタンドに勤務している方ですが、また困った事に「ガソリン」が言えないのです。通常“ガソリン”は言えるのですが、その時に限って言葉が出てこないんです。 私は、“あの、車の燃料って、なんて言ったかな”、“ガソリン?”、“そーそー、それ、それを売ってる所に勤めているんだ”、“ガソリンスタンド?”、“ガソリンスタンドに勤めている人って誰かなー、Bさんは違うしなー、…”。 そこで容姿等の説明を付け加え漸くのこと話が通じる事になりました。私は何時もこの、記憶のエアーポケットの不安を持っています。 要するに、喚語困難と迂回操作の症状で戸惑っている私の会話の全貌ですが、この文章を書いていることに疑問を持つ方が少なくないと思います。問題はこういう失語症の症状は、予期しない時に起こり、そしてその前後には戸惑いの空間があり、その間思考の連続が切断されるので、それが辛いのです。緊張もします場合によっては血圧も上がります。 また、旅行のことについての会話でも、“宿泊費”が出て来ないと、「宿泊費はどうするの?」と言いたい内容が、“宿泊費”という語彙が消失し、「旅館で泊まるとき、いくら払うの?」という言葉に変わり、内容の違う会話になった事もありました。 心ならずに起こるこういう会話内容の転換する発想の心理的機微は、口籠もりながら喋る失語症者が出会い易いものだと思っています。(勿論、時間をかけて文字を使用する場合はその限りではないことは言を俟ちません) つまり、不安定な思考の回路が何かの刺戟や負荷によりショートしたり、分岐点での選択機構の不備が起こり易いのがこの症状を惹起するものと考えています。ですから、失語症者は、ややもすれば起こりがちな恣意的な回路の切断や変更に耐えなければならないという緊張をもっていますので、健常者には想像し難くナイーブでシャイな一面があるのです。それは失語症者の不安・自己防衛であり、そのことが失語症者がひたむきに写るのです。 * 従って、今になってようやく言えますが、失語症者を発症後人格が円満になったとか、人が丸くなった言われる評価の判断に対応することについて、私はジレンマをもっています。それは受け取り側の都合に合わせた解釈であると思っているからです。 誰も安寧な環境で安穏な生活を望んでいます。しかし、ヒトが人間として生けていくためには肉体と共に精神の再生産が余儀なきことです。 それは宿命的な不断の世代交代であり、現実の環境からより良い生活を構築するべく努力の途上にある場合は、常に破壊と建設(Destruction and Creation)、価値観の移譲、場合によっては合法的M&I{Merger(合併)とAcquisition(買収)}が不可欠なことは歴史の示す通りです。言うまでもなくそれは闘いの記録でもあります。その可能性を否定することになります。 最も大切な”自立”には障害になると思いませんか。 つまり、失語症による円満なる人格への変身は、たとえ潤沢な財産に恵まれていても、それが能力の高い失語症者に良く見かける障害貴族に甘んじるなら別であるが、現実の世の中に前向きに生き続ける限り、それはあくまでも虚像であると思っています。 *(追加) 従って、ある程度回復途上あり健常者なかで生活する場合、リハビリとしの言語訓練は、特に複数が介在する集団訓練を嫌がる傾向があるのはそれに依ります。失語症者の私の甘えに思われるかもしれませんが、喚語困難、迂回操作、錯語、失文法、錯文法、残語等の解説にこの心理的な面を含んで頂きたいと思っております。 それは言語聴覚士(ST:Speech Therapish)の対応にも感じておりました。友の会に“先生”と呼ばれるSTの指導の下の活動がありますが、それは文字通りの指導であり私は受入れにくいものがよくありました。 このことですが、「全国失語症者友の会」最高顧問の茨城県立医療大学付属病院院長 大田仁史先生のお話をお聞きして安堵しました。 『社会の中へでていくすべ、といいますか、そういうものは少しずつ出来つつあるんですね。そこで、当事者の方、それからご家族の方、そして失語症の方に一番近い職業、専門家であるSTの方、そういう方に私がお願いしたいしたいことがあります。まずは、当事者の方は、失語症の人の一番の先生は失語症の人であるということです。もう昔から言われていることですが、まずはやはりご自身が、どんな重度の失語症の方であっても、他の失語症の方々の自分は先生になりうるんだということを、認識して欲しいなと思うんですね。2人寄れば、もうすでにどちらがどちらか分からない重度の人であっても生活のすべとか、そういうことを分かり合える仲間な訳ですね。言葉は交わさなくても、苦労から何から分かり合える。そういう点でいうと、一番の失語症の方のパートナーは、やはり失語症の方なんですね。これが、一番の特級のパートナーですよ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
それから、ご家族はですね、当事者と社会の間をつなげうるパートナーですね。1級のパートナーですよ。その周辺でその人たちのことを、社会に上手に伝えうる立場、パートナーが、STであろうと、私は思っています。STは2級のパートナー、2級品と言う意味ではないんですが。この人たちが中心になって力を発揮して、我々の側を苦しめている社会に対してどういう突破口をひらいていくかを知恵を絞って考える必要がある。ですから、障害のある人たちがバラバラにいたんでは話しにならない。 それからご家族が、その人たちの思いを受けて社会に対して「しんどい」とか「つらい」ということを、発信してほしい。ご家族はお話が出来るんですから発信して欲しい。それをきちんと受け止めてくるくるっと加工して、世の中一般の人たちに伝えうるのが、ST専門職なんです。 そういう人たちの力を合わせながらどうやって社会全体、全体はとてもむりですけれど、一部の人たちに理解を深めていくかという戦略を練って欲しいと思います。そのためには使いうる制度だとか、今までの障害保障の問題や、介護制度がどう変わるのか、支援制度がどうかわるのかということに関して目を光らせていただきたいなと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
私のような全く門外漢であっても医療や保健や福祉の中から世間に対して、そういうことを決める立場にある政治家や官僚の高官につたえうるチャンスがある。しかし、私だけがいってもこれは話にならないので構造をきちんと組み立てていかなければなりません。 先生のお話は失語症者とSTとのあり方を示唆下さったものと思い尊敬をもって拝聴しました。 失語症者は一般的に表情や行動に反応が鈍くコミュニケイションをとり難いので、誤解を生みやすいきらいがあります。しかし、何を気にしないとか何も分からないといった顔をしていても実はよく分かっていることが案外おおいのです。出来ないから、判らないと子供扱いにしたり、命令調で指示されることは失語症者とって耐え難き侮辱であることを忘れているSTが少なくないと思っています。無言であっても能力が低下してもSTよりも人生経験と実績とそれ相当な薀蓄がある方が多いのです。発症初期絵カード、画像や訓練器具等で個人指導場合は当然専門のSTの主体的指導は必要不可欠ですが、退院後の普通の生活に馴染む段階のリアビリ(rehabilitation ; 復旧)は当事者の実績が基本であるからこそ、私たち失語症者はその蓄積を啓発したいとそれぞれそれなりの努力をしています。それは外科的治療や薬事療法とは根本的に違うと考えています。 今後どの様に運営するか期待を持って見守って行きたいと思います。 また、失語症会話パートナーの設立準備会は失語症友の会と密接な連携で成立したようです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
また、この3年前からインターネットのネットのうち特定のリハビリ施設の言語療法士の解説は医学と医療技術の進歩をよく取り入れ現場の経験の蓄積があり分かり易いものが、数は少ないのですが、見られるようになりました。 しかし、何と言っても、“高次脳機能障害”、と言う名称が人口に膾炙されてから行政もマスコミも注目度が上がったのは紛れにもない事実です。寧ろ、遅きに過ぎたと思っています。私は、失語症の実態は発音以前の“語”の構築に問題があると実感しています。それが従来よく見えなかったが、(同然専門家は認識していた)、最近の脳疾患が増加により、必然的に高次脳機能障害の一部として考えられるようになったと思っています。 それについては重複しますが、このHPの”タイトル変更の経過文”についての中の1文を引用します。 要するに”失語症”は”高次脳機能障害”の1分野として考え・受け入れなければ現状に合わない事は明らかで、それは全ての分野で実証済みだと思います。科学の進歩はヒトの権利を拡大し、それは病気との闘いで医療として生きる権利の拡大を担っています。 では、『失語症 ― コミュニケーションの困難』として以下の通りに書いてあります。 ★入院していた時に、同室に失語症の人がいたのですが、体に麻痺などは何にもなく、スタスタ歩いていて、一見なんともない人のように思えたのですが、僕の言ったことはちゃんと理解してくれているのに、言う事が文章になってなくて、会話が成立しないので、書いてもらおうとしたのですが、もっと駄目でした。 『交通事故110番』→「高次脳機能障害の徹底研究」→「高次脳機能障害の代表的な症例」→「失語症」と辿って見ますと、その中に記述があります。 人と話したり、人の話を聞いたり、本を読んだり、字や絵を書いたりすることがうまく出来ません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
以上の解説にように後遺症を配慮においた説明が多くなったようです。 また、障害者の集まりには、必ずと言ってよい位医師や治療者への不満があります。それは、“あなたはこれ以上良くならない”と言われたが、実際はこの通りであるとテレビ・雑誌・インターネットで学習した最近の治療技術の進歩の記録を披露する方もありました。今回は、実例は割愛しますが、未だセカンドオピニオン制度が定着していない現状では深刻な問題であることは間違いありません。 また、私がたまたま見た失語症に関する興味深いニュースがありました。 『字読めない「失語症」、英語圏と漢字圏で原因部位に差』(2004/9/2 読売新聞) 脳卒中などで文字が読めなくなる「失語症」は、アルファベットを使う西洋人と漢字を使う中国人や日本人では、脳の損傷部位が違うことが、香港大の研究で分かった。 『失語症者がそのまま出て行ける社会はないとお話しした直後に実際に給料を得て働いておられる方がすでに2人もおられるというお話しで、素晴らしいことだと思いました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
先生は失語症者にとってはカリスマ的な方ですから失語症者の現状を全て把握しておられますので、今回の大会提言「社会参加の場を求めて、足を踏み出そう」をテーマに合わせ座談会で大局的見地に立って言っておられます。聴衆には説得感があり流石と納得します。 しかし、失語症者の視点は、社会復帰の希求意欲が旺盛であればあるほど、切迫した焦燥感に苛まれる環境にあって、より形振り構わない荒げ刷りのものです。場合によっては理解者に顰蹙をかうことも度々です。 そのような場面に出と合うと私は、失語症者は海苔床の綱に付着している海苔に等しいと思うのです。海の中を漂う胞子が成長するためには必ず付着できる綱が必要です。つまり、海苔床のないところには海苔は見かける事はないのですから。勿論、自立し社会復帰している方もいることを否定しませんが、そうゆう方は病気がずいぶん軽い方、つまり、障害手帳の必要のない方の場合と思われます。(社会復帰の内容の定義は人それぞれによって違いますが)。また、おられるとしても、全体の1%に満たない、と言うより、p.p.m.の段階だと思っています。つまり、失語症者の自立は大変困難になっていることになります。 従って、“何ができるか”と言うことは、詰るところ、家庭以外に自分の居場所の確保が究極の問題になります。 結論から言いますと、失語症者が求めているものは単なる発声練習だけではなくそれぞれそれなりの遣り方で社会復帰を望んでいます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
なお、そのプロフィールには以下の通りのコメントが載っております。
あしたば作業所は現在、全国で5,000ケ所以上ある共同作業所の中で、失語症の人達の作業所として全国に先駆けて1983年にスタートしました。脳梗塞、脳出血等の脳血管障害のある人達の働く場として、現在約19名の方が通所されており、ほとんどの人達が失語症、半身マヒというハンデを持ちながら、木工の組み木とパズルを中心に製作しています。製品は、約60種類、120アイテムと豊富で、全国約20ヶ所の委託販売とイベント販売、カタログ販売を行なっています。犬、猫や色々な動物をはじめ、お雛様やクリスマス、節句等の季節物も多数に取り揃えており、プレゼントとしても喜ばれています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||
パズル『5匹の動物』 | パズル『座りびな』 | |||||||||||||||||||||||||||||
最近、脳の再生能力機能が見直されているようですが、私自身のMRIで部分的に壊死した脳の画像を見る限り、矢張り、この疾患からの回復の限界を身を以って感じています。 ようやく引き篭もりから開放されても、言語及び身体の回復が遅々として進まず、明日の見通しを模索する方、また症状が定着している方、更に症状が後退を与儀されている方は多いと思われます。 そこでは、畢竟、ただ集りゲームや簡易な言語練習では障害者の単なる介護の範疇になるのではないでしょうか。 勿論、失語症者にはつどいに参加する機会は貴重なものですが、大切なことはその流れがパッシブル(passive:受動態)になりやすいことではないでしょうか。 こころのコミュニケイションの啓発には、自立を促進するためのアクチブ(active:能動態)な自己生産的行動を伴う施設と企画を希望していると思っています。 具体的には、需要にはあまりにも供給の少ない障害者のためのパソコン指導(私の知るところでは東京23区の障害センターでは今のところ新宿区、港区、豊島区等数区)や、各地域に点在する主に認知症者の作業所、「あしたば」、”「パソコン工房ゆずりは」”の活動等ですが、問題は受け入れ人数が極々限られている事です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
05.02.01. * 05.07.17.一部追加 |
||||||||||||||||||||||||||||||