失語症を考えるためには先ず障害程度級を睥睨して下さい。

 病気や怪我による脳血管障害は重い後遺症を残します。最近、発症の年齢、原因、類型が変化してきましたので、それに対応する医療治療技術・施設・受け入れ制度等変革してきております。私は、本来、障害当事者(時には家族等関係者)の日常生活を援助する面と共に、自己の障害の実態を社会的枠で把握し、かつまた、現在及び後の人生の構築をする展望の基礎資料と思っていました「身体障害者障害程度等級」が、脳梗塞発症後、回復に向かうにつれ現実との落差に出会うことが多くなりました。
 今から思えば発症の予兆はありましたが、以前は大した重病もなく周囲からは健康と言われておりました私が、突然に倒れ、その後の私の生活は
全て一変しました。勿論、妻の負担は大変なものでした。その中で最も困った事はこの疾患についての知識が皆無に等しいことでした。そして、最初入院した病院は救急病院でしたので、40日で山梨の温泉病院に移り秋になり退院しましたが、退院の際に両病院の担当者は障害手帳の手続きやその説明さえなかったので、私が手帳を取得したのは退院後知り合いの勧めでした。そのときには発症から2年を経過しておりましたので、右脚など歩行には困難な問題がありましたが、杖を使用する程ではないので言語障害以外は申請しませんでした。
 しかし、受け取った当初、手帳を取得したと言っても別に障害が回復することではなく、たまたま乗車する都バスの乗車券が無料になる特典を有難いと思っていましたが、それ以外の用途が分からずしまいでした。それは後に触れますが、失語症の悲しさで自覚が出来なかったと言う方が適当と思います。
 (一人で行動することが可能になった現在は事情が変わりました。買い物に行ったり、集まりで人に会ったり、初めての場所を尋ねて行く場合、私には手帳は無くてはならない携帯必需品になりなした。それは手帳だけではなくその中に心身障害福祉センターで頂いたカード、“私は耳や言葉が不自由です。ゆっくり話をしていただけますか”、というカードを入れてあります。私は道等いろいろ伺うときにそのカード入りの手帳を示します。将に、私には水戸黄門さまの印籠に匹敵する威力があります。それをご覧くださった方は私の事情をお察して親切に対応して下さります。私は手帳の存在を支える皆さまの好意に感謝します。しかし、あくまでも私の希望は手帳に依存しない生活です。)
 従って、当時の私は、単純に、障害程度は1種が2種より重く、等級は1級が一番重く順次数字が増えると軽くなる程度しか知りませんでした。しかし、障害者の集まりに参加し、いろいろお話を伺ったり、また、その会の会報や関係書類を閲覧しますとその中にある方々の氏名の背景に2級、3級、1級など障害程度級が、会話の場合は言葉の端々に出てきますし(当事者が言わなくても周囲から説明されます)、文章のにはその方の氏名に記述してありました。私もそのうちいろいろの集まりで、近況報告、体験談、経験談等伺ったり又そのような
会話に参加する折には私から、“何級ですか”と質問することが多くありました。その結果この障害程度級の設定には現状に鑑みあまりにも無理があることが実感されました。 
 
 この際具体的な事例を挙げます。Aさんは1級ですから歩行には困難があり杖を使用しますが、大きく明瞭な声で発言し、元々精力的で地域で信用のある方でしたので障害者の仲間作りを行い地域で会を立ち上げ活発に活動しています。勿論奥さんの協力はあります。私が指摘したいのは常時車を運伝していることです。特例をもって一般問題にしてはいけませんが、血管障害で2級の方が1年から3年内に職場復帰した例は多いし、私の参加している会では1種の手帳を携帯して車で来られる方は珍しくありません。
 最近、42歳のとき脳溢血で倒れ53歳で再発した男性にお会いしお話を聞きました時には本当にビックリしました。障害程度2級で、左マヒですからネクタイも右手のみで結ぶという事です。最初はヘアーピンで押せて練習したようですが、今では他の作業にも不自由していないと言っておられました。得手が右であることが幸いを齎したことも言っておられました。勿論、人には言えない悩みやご苦労があることは察するに余りあります。また、こう言うお話は発言者が、自分自身の語りかけている状況や内容が屈折している場合に出会ったことが多いのですが、今回私はその方のお話をお聞きし、そのお話の
迫力に圧倒されました。特にその経過でご自分の障害について、“障害はチャンスとして…”、と言われた時思わず私は拍手を送りました。
並ならないご努力の結果であり常人で誰でもが出来るものでないと敬意をもっています。
 その方は現在大手の建築会社のお勤めで、現場の所長が会社に送る企画書の作成等所長と一緒に働いているということでした。

 
 その点、以前にも申し上げましたが言語障害とりわけ失語症の場合再就職はたいへん難しいのですが、程度級は重症で3級、それ以外4級です。言語には厳しいからね…障害者仲間では常識になっています。
 「言葉が言えなくても、手話があるではないか、筆談があるだろう。肢体の不自由に比べれば問題ない」という旧弊な観点で仰る方がおりますが、そう言う方は、言語障害・失語症とは脳血管障害による人としてのコミニュニケイションの喪失することの意味の理解が欠落しており、単なる発音障害と混同しているのであり、バリアフリーやユニバーサルデザインを包含する現在の時代に未だに根強く残存しているように思われます。
 でも、どんな病気も当事者でないと理解頂くことは無理な事と思っています。
 しかし、それは、肢体障害が特に重度であることを否定するものでなく、言語障害の実態ももう少し理解して頂きたいということです。
 ようするに、冷静に考えれば直ぐ判ることですが、肢体不自由な方、視覚・聴覚・言語障害等異なった障害を比較すること自体、それぞれの身長と体重でその人の大きさを決めるに等しいことで、そこには前提としてあるそれぞれの価値観がある筈ですから、等級設定の内容についてその価値観が時代の変遷のなかで推移・修正する事が最も妥当な対処のように思われます。しかし、変更は受容者の権利の問題や関係組織・行政機構等の事情がありますので、設定の本来の主旨・理念に疑問を持っていますが、あまりにも奥が深く私には先が見えませんし、ましやそれを議論するという大それた気になるには距離があり過ぎます。

 しかし、一人の障害者の立場に立ってよく考えると、私の狭い生活環境で体験・観察したものは極々障害者の一部ではありますが、身体障害者手帳の級別の項を比較すると障害の実態が等級にそぐわない感じをもっています。
 
 しかし、特定の方の戦傷者手帳と被爆者健康手帳を除くと該当する手帳は、@身体障害者手帳 A愛の手帳 B精神障害者保健福祉手帳 の3種類になると思いますが、行政の発行している「障害者福祉のてびき」によると、
 @は、「身体障害者(児)が各種の援護を受けるためには、身体障害者手帳の取得を必要とします。(後略)」。
 Aは、「知的障害者(児)が各種の援護を受けるためには、東京都が発行している手帳です。(中略)。次の場合は、届け出が必要です。(中略)D満3歳、6歳、12歳、18歳になった時。また知的障害の程度に著しい変化が認められる時は、再判定を受け、手帳を更新する必要があります。」 
 Bは、精神障害者保健福祉手帳であり、身体障害者手帳とは役所の対応部署が別になっています。手帳について殆ど知識のない私は身体障害者手帳の担当部署・障害福祉課の職員が身体障害者手帳の説明後親切に私を担当部署・「保健所保健予防係」へ誘導して下されました。そこでは担当者は該当するファイルを開き、その中から認定基準についての書類を取り出し、 “この状態ですから文面を読んでも恐らく専門家でないと理解出来ないでしょう”、と見せてくださいました。その中には数項目に亘る内容が詳細に記述してありましたが、仰る通り勿論、私にはその内容を読み取る事は全く出来ませんでした。
 てびきでは「精神に障害があるため、長期にわたって日常生活に制約を受ける方の社会復帰や自立、社会参加の促進を目的として東京都から交付されます。」となっています。
 そして、てびきを見る限り、身体障害者手帳は援護、精神障害者保健福祉手帳は社会復帰や自立、社会参加の促進を謳っています。精神障害者保健福祉手帳については年齢による再判定の必要がありますが、それは、年齢の低い場合、特に幼児の場合、脳の可塑性が旺盛ですから将来社会生活に適応の可能性があり、過去の事例があるからだと思います。


 最近よく言われた手帳が取得出来ず必要なリハビリの援助に困っている高次能機能障害に平成16年から判定基準が決まったようで、それを取得した手帳を見ますと表紙は単なる「障害者手帳」ですが開くと、“精神保健及び精神障害者福祉に関する法律45条の保健福祉手帳”との記述があり、2年毎に更新することになっています。
 私の知り合いの方は、4年前57歳のときに脳出血で倒れ2年間は休職とのし定年を待たず退職した方がおられますが、診断は高次能機能障害でした。私がお会いした時は、…言葉も手足も見かけは殆ど変わらないようで、毎日運動として約4キロ歩いている、プールに行って600メートル位は泳ぐ、しかし、簡単な計算ができなくなり日課として公文の問題集をやっている、喋る事は良いが文章を書くことは苦手であると言っておられましたが、私がお会いした時には…必ず口癖くらいに毎回言い続けることは、練習を実行している車の運転が未だに出来ない、40年間車を乗り続けてきたのに、再就職は覚束ない、2年毎の更新はたいぶ負担になっている…という事でした。

 * その後6ヶ月に何回かお会いしましたが、その都度明るくなっていくのが感じられました。
 会話は全てスムースで内容も淀みなく、担当医の下でMRI撮影写真を見てしょげ込んでいた私を、“リアビリを地味に続ければ必ず快方に向く”、と勇気付けて頂きました。
 近況報告では、朝5時〜6時に起きて歩くことを日課としている。走ることが多く、以前は4キロに50分を要したが今では24分で出来る。公文の問題集が足し算、引き算、掛け算、割り算の各1セットになっていて、200中既に191まで来ている。以前1時間かかったものが38分できるので、7月末までに200問を25分で出来れば車の運転も可能だろうと言うことでした。
 しかし、私が最も驚いたことは、次の彼の一語でした。
 “私が公文をやっているのは単に計算練習としてではなく、時間を限って正確に対処することで車の運転安全対応能力を確認する為なんです。事故を起こしたら大変ですから、…。”
 私自身、彼以上と言っても良い位車に執着していましたので、彼の意欲はよく理解していましたが、公文に対する姿勢の変化には内心戸惑っていました。
 そして、1ヶ月後、明くる例会で彼が殆ど同じ報告をした後
、その場に居合わせた方から発言がありました。
 “私はこの病気になったとき免許は返しました。あなたは足も私よりずっと良いようだから何も車に乗らなくてもいいではないか…”。
 このような意表をつかれた場面にはどなたも遭遇した経験があると思います。後のことはご想像下さい。
 確かに、手帳の認定基準及び認定者の判断の妥当性の問題と別に、回復の経過・結果における障害者の意識には、特に障害受容の点で、落差を感じています。しかし、障害を克服し社会復帰している人、再発で更に苦しんでいる人、…みんな一生懸命生きようとしています。

 2005年5月4日に「事故後10年ぶりに意識を回復した米消防士」の話題が報じられました。その1つを掲載します。
 事故後10年ぶりに意識を回復(共同通信)
  【オーチャードパーク(米ニューヨーク州)AP=共同】
 米国で、消火活動中の事故で10年近く記憶を失い、妻たちの呼び掛けにも答えなかった消防士の男性が先月30日、突然回復、家族らと会話を始めた。脳に損傷を受けた患者が回復する場合は通常2、3年以内、と話すニューヨーク大医療センターのローズ・シャー医師は「10年後という例は聞いたことがない」と驚いている。
 [共同通信社:2005年05月04日 12時05分]

 勿論、10年間に種々な医学的な治療が行われていたことは言うまでもありませんが、これは脳障害、特に外的脳障害の回復の可能性の検証になるでしょう。
更新の必要性の根拠もこんな処にあるのかと素人の私は考えています。*


 以上失語症の置かれた立場を考える1つの前提の観点から見た障害福祉手帳の概要を見ましたが、ここで、本来の目的である“失語症”を改めて見直したいと思います。

 私は脳梗塞になってから、即ち、失語症になってからそろそろ6年になります。
 2005年1月24日付け朝日新聞の小欄に、「脳卒中予防に関心を」という記事が出ていました。それによると、『脳卒中は、脳の血管が詰ったり破れたりして起こる病気。年間の死者は約13万人に上り、まひなどの後遺症に苦しむ人も多い。喫煙や高血圧、肥満、糖尿病などが危険因子だ。
 日本脳卒中協会の中山博文事務局長は「脳卒中の予防には危険因子を理解し、発症時に速やかに病院に行くのが重要だ」と話す。しかし、同協会などが527人を対象に脳卒中の危険因子を知っているかを尋ねたところ、6割が答えられなかった。また7割が発症時の症状を知らなかった。(後略)』、と言うことです。
 この病気は心の準備のないところに突然襲ってくるので、謂わば、晴天の霹靂に打たれたときに似た様相で身も心も打ち砕かれ混乱することが多いと私を含め経験者の反省があります。

    *
 
しかし、「卒中」の語源を考えれば当然なことです。
  「卒中」の「卒」と言う文字は、衣の襟をかさねて、結びとめた形からできた象形文字で、死者の卒衣を言い、「おえる・おわる・ついに・にわかに」という意味に使われています。卒業・卒倒・卒然等。
 「中」は□とl の会意で□印を射的のマトと考えてマトに命中して貫中するさまを示す会意文字で、意味通り「中る・あたる」と読み、毒にあたることを「中毒」と言います。正午(正に午:うま=南)に太陽が高くなるときの方向にあたることを「南中」と言います。

 ここで「かぜ」について検証してみますと、

 現代ではかぜと言われる疾病は、その原因のほとんどは、ウイルスであることがあきらかにされています。ただ、その原因となるウイルスの種類は多く、どのウイルスによるものかを確定することは、一般的には困難のようであり、また、かぜとまぎわらしい病気として、花粉症(くしゃみ、鼻水、鼻づまりを主症状とする)、 肺結核症、細菌性肺炎、肺炎、(せきぜんそくと呼ばれるせきが強い)、腎盂腎炎(これによる高熱、腰痛、関節痛)等があるようですが、医療知識があまりなかったときには、殆ど同じ症状の病をひとまとめにして“かぜ”と言っていたようです。従って、現在脳卒中といわれる疾患が脳の内部に起因することが知られていなかった(知られたのは江戸時代の終わりから明治頃)ため脳卒中という病名は無く、中風や卒中風と言われていました。

 貝原益軒は、『養生訓』の中で「中風は内に生じた風にあたったもの。体が肥えて色が白く気の少ない人が、四十歳を過ぎて気の衰えた時、七情の悩みや酒食の損傷によってこの病気がおこる」と書いている。
 「内に生ずる風」について貝原益軒は、「
いつも酒を多く飲んでいると胃腸がそこなわれ、元気が減り、内熱を生じているから内から風がおこって手足がふるえ。しびれ、麻痺し、思うようにならず、口がゆがんで物が云えない」と説いた。

 古川柳にもいろいろあります。

    家督公事もとのおこりは卒中風
    知れもせぬ医者を呼び込む卒中風
    卒中風さても賑やかな末期なり
    むつかしく飯粒拾う中風病み

 また、小林一茶は58歳で中風を病んだときの歌が残っています。
  「
初雪に一の宝の尿瓶かな」 (一茶の書簡集によると、大根おろしのしぼり汁のせいで、だいぶよくなったが、もとの足になりかねているとのことです)

 私は一時、“脳卒中”と言う言葉の語源を知りたいと語源辞典を調べましたが、何処にも載っていませんでした。たまたま知り合いのからの紹介で読んだ本の中に語源にあたる説明を見つけました。

   編著者 山口 武典 国立循環器病センター名誉総長(脳血管外科) 「脳卒中ことはじめ」  です。

 この編著者の方は、日本脳卒中協会会長・日本脳循環代謝学会会長等々勤められておられ私たちには雲の上の方ですから、その方の著述に触れることは天に唾するに値する恐れ多いことですが、敢えて、氏の「まえがき」の冒頭の部分を紹介させて頂きますと、
 
脳卒中とは「卒然として邪風に中(あた)る」という意味の言葉で、脳血管の閉塞や破綻(出血)によって起こる病気の総称である。そして昔はその邪風に当たった人は「中風病み」と呼ばれ、正確な診断もうられず、また特別な治療を受けることもなく、家で寝ているほかはなかった。…

 ここで言われる“邪風”ですが、邪風は“悪い風習。悪風。”としての意味で使用される方が多いようで(正法眼蔵、源平盛衰記、芭蕉書簡等)、一部(延喜式)、“害をもたらす風。悪病を運ぶ風”という意味に使用されてようですが、それも疾病自体を表現したものではなく、言葉に制約がなくなった最近では、もっぱら“わるい風習”(広辞苑)として使用されています。
 
“風邪(ふうじゃ)”は“体内にはいって種々の病気を引き起こすとされる風。かぜ。感冒。”としての意味で後漢書、医心方、史記抄はじめ多くの文献のなかに記述がります。
 この点については、氏が仰る“邪風”は、1世紀頃の中国の古い書物にある

   「邪風に中(あた)れば撃仆(打ちのめされ)、偏枯(半身不随)となる」

 という記載があると言われていますので、それに準じていると思われますが、その場合も直接病気を指しているのか又は周囲に蔓延る悪病を運ぶ風を意味さしているか議論の分かれるところであると思います。
 しかし、いずれにしても、“卒中”という言葉は存在し、使い続けたことは確かなことです。

 (しかし、この問題は本題と反れていますし、重箱の隅を突くという誤解を招く危険がありますので、敷居値を高くしたいのでこのことは別な機会にして本題に戻りたいと思います。)

 また、氏はよく講演されるようで、あるときの講演記録によると
 《千里ライフサイエンス市民公開講座における講演抄録;1997年7月19日於 千里ライフサイエンスホール》

 脳卒中とは「突然悪い風にあたって倒れる」という意味であり、その症状は意識障害、運動障害(半身が動かなくなる)、感覚障害(半身の感覚が鈍くなる)、平衡障害(ふらつき)、けいれん(大脳皮質が障害された場合)、視野障害(後頭部が障害された場合)、視力障害(眼の動脈が詰まった場合)、頭痛(出血した場合)、痴呆(多発性の脳卒中の場合)などがあります。症状としては、運動障害(片麻痺)が最も多くみられます。…

 何れも、氏は恐らく素人に分かり易く説明するために、この疾病の“卒中”の意味を強調されたものと思いますが、“脳”と“卒中”との合成語、つまり脳卒中は、当然の既存語と受け入れています。
 (元々、医師にすればそんなことは如何でも構わない些細なことですから気にもならないことかも知れませんが。)
 見方を変えれば、脳卒中という単語は脳卒中のという病気の原因の解明が進むにつれ、自然発生的に使用してきた経緯があったと解釈するのが妥当と思います。
 従って、「脳卒中」という単語が広く使われたのはその原因が解明されてからのことですから歴史的には最近のことです。

 しかし、どの統計か知れませんが、ある本によると、「2002年に発生した全ての脳卒中のうち、約64%は脳梗塞で占められている」と言うことですから、“卒然として”・“突然”を強調することは大切なことはよく分かりますが、同じ脳梗塞でも卒中という症状がなくても「無症候性脳梗塞」と言われる血管梗塞があることにも大いにご配慮をお願いしたいものです。

 今から8年前になりますが、当時退職しておりました私の親しい先輩Kさんに連絡が出来ず待っていましたが、ようやく連絡ができたときは退院後でした。「どうも体調が悪く…」と言って私にお話をしてくれた事によると、手足の動きがぎこちなく、少しろれつがまわらないので医者に相談したら、直ぐ検査になりそのまま入院したとのことで、当時の私は脳梗塞と言われても全く分かっていませんでした。

 私事で申し訳ありませんが、私はKさんに忙しいといって疎遠になりがちでしたが、私の退職で漸くゆっくりと合える、旅行も一緒に行ける、いろいろ相談もしたいと交流の再生を心待ちにしていました。しかし、最も気心の通じた無二の先輩Kさんが私の退職と時を一にして他界されたのは私にとってあまりにも耐え難いほど大きな空洞を残しました。今でも何かにつけても在りし日の彼の仕草や表情を思い出します。

 しかし、言うまでもなく、実際には専門医はその点は疾うに対応しておられます。時には区別なく使用される事があるようですが、ややもすれば曖昧な「脳血管障害」(cerebrovascular-diseases)という用語を用いてそのなかに「無症候性脳血管障害」を卒中から隔離しております。

 例えば、「日本赤十字社医療センターSAS」のHPのように、脳卒中を明確に説明しております。

1. 脳血管障害(脳卒中)とは
 脳の血管の病気により生じる脳の障害を脳血管障害と呼びます。脳卒中という言葉も同義語として使われることもありますが、本来「卒中」という語には「突然の発症」という意味があり、厳密には脳血管障害の中で突然発症をするものだけを脳卒中と呼んで区別します。脳卒中には脳血管が閉塞するものと破綻するものとに分類されます。前者が脳梗塞で、後者が脳出血とくも膜下出血です。
2. 脳血管障害の種類
 脳血管障害は以下の様に分類されます。
   A. 無症候性脳血管障害
    何も症状のない人が脳ドックなどを受けたときに、画像診断で脳動脈瘤や脳梗塞がみつかる場合のことです。
   B. 局所障害型の脳血管障害
     1. 一過性脳虚血発作
       一時的に何らかの理由で脳の血流が途絶え、脳卒中と同様の症状が起こりますが、
       24時間以内には症状が消失してしまいます。この症状は脳梗塞の前ぶれでもあるので、
       そのまま放置しないことが大切です。
     2. 脳卒中
      a. くも膜下出血 ≫ 図説
        脳をおおっているくも膜と脳の間にある動脈に「動脈瘤」という瘤ができ、これが破れ、
        脳の表面を取り囲むように出血するものです。
      b. 脳出血 ≫ 図説
        高血圧などにより脳の血管がもろくなって破れ、出血します。出血した血液は固まって
        血腫(血のかたまり)となり、脳細胞を圧迫するなどして、脳の機能が障害されます。
      c. 脳梗塞
        脳の動脈が何らかの原因により詰まってしまうものです。
           (1)アテローム血栓性脳梗塞 ≫ 図説
           (2)心原性脳塞栓症 ≫ 図説
           (3)ラクナ梗塞 ≫ 図説
   C. 脳血管性痴呆
    脳卒中、特に脳梗塞を繰り返すうちに脳の機能が障害され、痴呆になってしまう状態で、
    アルツハイマー病と対比される痴呆状態です。
   D. 高血圧性脳症
    高血圧がかなりひどくなると、脳にむくみが起こります。このため、頭痛、嘔吐、手足のけいれんなどが見られます

  つまり、一患者の私が申し上げるのは少々憚りますが、脳卒中の名称は、以前、発症時の外科的対応を前提に治療に携る脳神経外科の発想のよる命名と理解することが適当と思われます。つまり、脳疾患で脳卒中を含めて後遺症を包含する場合は、『脳血管障害』(cerebrovascular-diseases)が定着するものと思われます。

 そこで
 私は一時、“脳卒中”と言う言葉の語源を知りたいと語源辞典を調べましたがと、申し述べましたがそれは次の理由によります。

 @ 脳卒中という名称は実際のところ、その患者(当事者)からは直接聞く事はあまりありません。私も含め、自分の疾患について言う場合は、“脳梗塞”、“脳内出血”、“くも膜下出血”、“一過性虚血”、“高血圧性脳症”等具体的な疾患名、つまり、医師から診断された診断名で表現し、自ら脳卒中という方は少ないようです。それは当事者からすれば自分の疾患について最もダイレクトな表現ですが、中には脳卒中ということばからマイナスのイメージを連想することを避けている方も少なくはありません。
 脳卒中という単語の語感にはその歴史的な暗いイメージが纏わっています。現在でも死亡原因として癌、心疾患、と共に上位を占めていますから、病気としての恐怖があるのは当然ですが、特に「中気」と言われた当時―医学の未発達のときには、幸いにも生き残っても、一生背負っていかなければ惨めな後遺症は筆舌に及ばない生活が待っていました。幾多の障害のなかで“穀潰し”として蔑まされ失意のなかで晩年を送った方もありました。その情景は先の示した川柳にも謳われていますが、当事者のみに止まらず身内にも厳しいものでした。その印象はわが身にあてはめたくないのは人情でしょう。
 それに対して、“脳梗塞”、“脳内出血”、“くも膜下出血”等は、原因は解明され治療法も日を追って進歩していますから、その名称自体は過去の暗黒のしがらみから開放されます。
 つまり、日常生活に刻印された厳しい経験の記憶はなかなか払拭されないと思うからです。
 A 私は失語症者としていろいろの資料に接しますと、
  失語症は脳卒中や事故による脳損傷の後遺症で言語障害
  高次脳機能障害は交通事故や脳卒中などで脳が傷つき、記憶力や注意力が低下する後遺症(:脳挫傷の記述が多い)
  また認知症は多くは「アルツハイマー病」と「脳血管障害による認知症」と分類されています。

 いま、私は自分の回復について模索しておりますが、いろいろの資料の分類に戸惑っています。特に、脳血管障害による脳細胞の壊死とその代替機能の回復の可能性に興味をもっています。そのためにはせめても脳卒中の輪郭を確認したいと思っていました。

    *(追加:**追加文の配置が多くなり本文の主旨が損なわれることになりそうで心配です)
  

  つまり、残った人生をそれぞれ全く変った生活スタイルで構築することになります。
 私の場合、発症後の体験は”体験1”に記述してあります。また、このHPの一部にその後の経過と体験の集約が所々に入れてありますので、それをご覧頂いた方はお分かりと思いますが、私自身はもとより失語症を囲む環境が変わりつつあるように感じます。
 私の発症当時、言葉は勿論自分の存在感の確認も儘ならない孤独の日々から、やがて情報の取得・発信可能までの回復途上にあって失語症の定義といいますか説明の欠乏に困惑していた頃から比べれば(それは情報取得能力がない私の責任に負おうことが大きいと思いますが)、内容・質ともずいぶん潤沢になりました。また、一般の書店では見かける事はありませんが、インターネットで検索するといろいろの書物が出版されていることが分かります。
 専門分野については全く無知ですが、以前は生活雑誌にのる程度で纏まったものとしては、全国失語症友の会連合会の発行の言葉の海・臨時号No4「失語症の理解のために」、(昭和63年9月発行)の小冊子ではないかと思いますが、これも運良く関係者の知り合いがいないと入手が困難と思います。
 内容は、1.失語症とは何ですか…に始まり、失語症の症状・タイプ・原因、失語症の言葉以外の障害、治療、職業復帰等々で家族の立場を配慮にいれて平易な表現で書いてあります。症状についてはこの前の
”失語症を考え・語るその1”の部分と殆ど同じです。
 しかし、この内容は以前からよく知られている事であり、言わば、失語症についての古典的な解説で、これは失語症者の私の実感からみれば、症状の羅列に重点をおき、言葉の発音とその以前の記憶・思考・思惟・平衡感覚等との有機的関係の解明に触れていない(実際、この疾患の性質上その事は無理だとは思いますが)点で、その解説が健常者の視点に終始しているように思えて仕方がありません。

  **《今ではよい本が出てきました。脳卒中や高次機能障害者のため解説には失語症が分かり易い絵入りで親切な説明があるものがあります。一頃に比べられ雲泥の差です。書店でも図書館でも容易に見られます。》(追加.06.10.10.)**

 昨日も知り合い2人と相談しておりました。私はHさんのことを話しに出そうと思いましたが、氏名が思い出せません。ガソリンスタンドに勤務している方ですが、また困った事に「ガソリン」が言えないのです。通常“ガソリン”は言えるのですが、その時に限って言葉が出てこないんです。
 私は、“あの、車の燃料って、なんて言ったかな”、“ガソリン?”、“そーそー、それ、それを売ってる所に勤めているんだ”、“ガソリンスタンド?”、“ガソリンスタンドに勤めている人って誰かなー、Bさんは違うしなー、…”。
 そこで容姿等の説明を付け加え漸くのこと話が通じる事になりました。私は何時もこの、記憶のエアーポケットの不安を持っています。
 要するに、喚語困難と迂回操作の症状で戸惑っている私の会話の全貌ですが、この文章を書いていることに疑問を持つ方が少なくないと思います。問題はこういう失語症の症状は、予期しない時に起こり、そしてその前後には戸惑いの空間があり、その間思考の連続が切断されるので、それが辛いのです。緊張もします場合によっては血圧も上がります。
 また、旅行のことについての会話でも、“宿泊費”が出て来ないと、「宿泊費はどうするの?」と言いたい内容が、“宿泊費”という語彙が消失し、「旅館で泊まるとき、いくら払うの?」という言葉に変わり、内容の違う会話になった事もありました。
 心ならずに起こるこういう会話内容の転換する発想の心理的機微は、口籠もりながら喋る失語症者が出会い易いものだと思っています。(勿論、時間をかけて文字を使用する場合はその限りではないことは言を俟ちません)
 つまり、不安定な思考の回路が何かの刺戟や負荷によりショートしたり、分岐点での選択機構の不備が起こり易いのがこの症状を惹起するものと考えています。ですから、失語症者は、ややもすれば起こりがちな恣意的な回路の切断や変更に耐えなければならないという緊張をもっていますので、健常者には想像し難くナイーブでシャイな一面があるのです。それは失語症者の不安・自己防衛であり、そのことが失語症者がひたむきに写るのです。
 
 * 従って、今になってようやく言えますが、失語症者を発症後人格が円満になったとか、人が丸くなった言われる評価の判断に対応することについて、私はジレンマをもっています。それは受け取り側の都合に合わせた解釈であると思っているからです。
 誰も安寧な環境
で安穏な生活を望んでいます。しかし、ヒトが人間として生けていくためには肉体と共に精神の再生産が余儀なきことです。
 それは宿命的な不断の世代交代であり、現実の環境からより良い生活を構築するべく努力の途上にある場合は、常に破壊と建設(Destruction and Creation)、価値観の移譲、場合によっては合法的M&I{Merger(合併)とAcquisition(買収)}が不可欠なことは歴史の示す通りです。言うまでもなくそれは闘いの記録でもあります。その可能性を否定することになります。
 最も大切な”自立”には障害になると思いませんか。
 つ
まり、失語症による円満なる人格への変身は、たとえ潤沢な財産に恵まれていても、それが能力の高い失語症者に良く見かける障害貴族に甘んじるなら別であるが、現実の世の中に前向きに生き続ける限り、それはあくまでも虚像であると思っています。
 *(追加)
 
 従って、ある程度回復途上あり健常者なかで生活する場合、リハビリとしの言語訓練は、特に複数が介在する集団訓練を嫌がる傾向があるのはそれに依ります。失語症者の私の甘えに思われるかもしれませんが、喚語困難、迂回操作、錯語、失文法、錯文法、残語等の解説にこの心理的な面を含んで頂きたいと思っております。
 それは言語聴覚士(ST:Speech Therapish)の対応にも感じておりました。友の会に“先生”と呼ばれるSTの指導の下の活動がありますが、それは文字通りの指導であり私は受入れにくいものがよくありました。

 このことですが、「全国失語症者友の会」最高顧問の茨城県立医療大学付属病院院長 大田仁史先生のお話をお聞きして安堵しました。
  「全国失語症者のつどい」の22回全国大会愛知大会は、平成16年7月25日(日)名古屋市公会堂で行われました。そのつどいの座談会で先生は以下のように言われました。

 『社会の中へでていくすべ、といいますか、そういうものは少しずつ出来つつあるんですね。そこで、当事者の方、それからご家族の方、そして失語症の方に一番近い職業、専門家であるSTの方、そういう方に私がお願いしたいしたいことがあります。まずは、当事者の方は、失語症の人の一番の先生は失語症の人であるということです。もう昔から言われていることですが、まずはやはりご自身が、どんな重度の失語症の方であっても、他の失語症の方々の自分は先生になりうるんだということを、認識して欲しいなと思うんですね。2人寄れば、もうすでにどちらがどちらか分からない重度の人であっても生活のすべとか、そういうことを分かり合える仲間な訳ですね。言葉は交わさなくても、苦労から何から分かり合える。そういう点でいうと、一番の失語症の方のパートナーは、やはり失語症の方なんですね。これが、一番の特級のパートナーですよ。

それから、ご家族はですね、当事者と社会の間をつなげうるパートナーですね。1級のパートナーですよ。その周辺でその人たちのことを、社会に上手に伝えうる立場、パートナーが、STであろうと、私は思っています。STは2級のパートナー、2級品と言う意味ではないんですが。この人たちが中心になって力を発揮して、我々の側を苦しめている社会に対してどういう突破口をひらいていくかを知恵を絞って考える必要がある。ですから、障害のある人たちがバラバラにいたんでは話しにならない。
 それからご家族が、その人たちの思いを受けて社会に対して「しんどい」とか「つらい」ということを、発信してほしい。ご家族はお話が出来るんですから発信して欲しい。それをきちんと受け止めてくるくるっと加工して、世の中一般の人たちに伝えうるのが、ST専門職なんです。
 そういう人たちの力を合わせながらどうやって社会全体、全体はとてもむりですけれど、一部の人たちに理解を深めていくかという戦略を練って欲しいと思います。そのためには使いうる制度だとか、今までの障害保障の問題や、介護制度がどう変わるのか、支援制度がどうかわるのかということに関して目を光らせていただきたいなと思います。
愛知大会の懇談会。左から2人目の方:太田先生
中央の方:遠藤先生。右2人の方:失語症経験者

 私のような全く門外漢であっても医療や保健や福祉の中から世間に対して、そういうことを決める立場にある政治家や官僚の高官につたえうるチャンスがある。しかし、私だけがいってもこれは話にならないので構造をきちんと組み立てていかなければなりません。
 ここへおいでの皆さんにこういう話をするのは釈迦に説法のような感じがします。もうある意味ではすでに出来上がっている人たちで、 おいでにならない人や、会があっても出てこない人や、会ができない組織・地域のようなところにまで、ぜひ手を伸ばしていって欲しいですね。』

 先生のお話は失語症者とSTとのあり方を示唆下さったものと思い尊敬をもって拝聴しました。

 失語症者は一般的に表情や行動に反応が鈍くコミュニケイションをとり難いので、誤解を生みやすいきらいがあります。しかし、何を気にしないとか何も分からないといった顔をしていても実はよく分かっていることが案外おおいのです。出来ないから、判らないと子供扱いにしたり、命令調で指示されることは失語症者とって耐え難き侮辱であることを忘れているSTが少なくないと思っています。無言であっても能力が低下してもSTよりも人生経験と実績とそれ相当な薀蓄がある方が多いのです。発症初期絵カード、画像や訓練器具等で個人指導場合は当然専門のSTの主体的指導は必要不可欠ですが、退院後の普通の生活に馴染む段階のリアビリ(rehabilitation ; 復旧)は当事者の実績が基本であるからこそ、私たち失語症者はその蓄積を啓発したいとそれぞれそれなりの努力をしています。それは外科的治療や薬事療法とは根本的に違うと考えています。
 もう少し踏み込で言いますと、リアビリは文字通り復旧であり、新しい紙に絵を描いたり新規な材料で構築する建築と違い、埋没遺跡の発掘に似ているとではないでしょうか。私たちの学習は既に残存している潜在能力・記憶等の活性化であり修復が基本にありますので、その活力は自己の自立意欲に頼るしか方法がない、つまり周囲が躍起になって取り組んだとしても当事者と波長が合わなければそれは雑音に等しいからです。特に、以前世の中の主役としての実績と誇りのある方は見えないところで悩んでいますので、傷つき易いものです。
 
 * 具体的に触れると、特に言語障害のようにその疾患の症状が図り難い場合、それは手脚の障害のリハビリの様に見通しが困難と思われます。10年経過してもリハビリの効果があまり見られない重症の方もおられますし、各自の回復曲線の健康時に対する収斂値(回復の限界)・微分値(方向係数)の個人差がありますので、一概には言えませんが、
リハビリの前提になる「障害受容」の認識が蔑ろ(ないがしろ)にされている現実がありますので、現場の言葉の指導でも目標の設定が曖昧になっているようです。
 健常者が何を忘れたり、高齢のために記憶・運動能力が衰退することに対する回復活動とは根本的に異質なところがあると思っております。例えば、私の場合、会話が行き詰る、つまり言葉が出て来ないという事は、その単語を元々脳裏に浮かないこともありますが、大概は発信の経路に故障が生じていることが多く、その修復は恐らく代替経路の構築を要するものと思われます。
 失語症の言語のリハビリは、失った記憶をありますが、如何も失った経路を修復し、又は新たにバイパスを構築することで、その点では単なる埋没遺跡の発掘ではなく新しい再生産が行われていると思っています。
 従って、私の経験的対策の例を申し上げますと、
 そろそろ3歳になる私の孫がお風呂から出てなかなか衣服を着ないので、“や!
ハダカンボー”と囃し立てます。ところが私はそのまま“ハダカンボー”とは言えないことが通常で、“ハタバンボウ”と言ってしまいます。
 すると待っていたかのように、
 “おじいしゃま、ハダカンボーよ、わかる?”、と私の顔を覗き込んで諭すかのように言うんです。
 時々、他の言葉の場合でも起こるんですが、私の発音の間違いを指摘して唇をゆっくり動かしながら手本を見せる孫にただ従うのみの私です。
 孫は経験的に脳裏に整頓された情報を手際よく采配される機構にのって自然に出てくる言葉ですから家族のなかで私だけが戸惑うのが不思議に思えるようですが、私に対する対応が孫なりのあり方が出来つつあるようです。
 例えば、街中に出るときには常に親や私たちに纏わって手を繋ぐのですが、以前は私の妻との間に入れて手を繋いて歩いたのですが、私が右脚にマヒが残って歩行が少し不安定感を感じてか、2歳半頃から私とは手を繋ぐことを断り、自分はさっさとおばあちゃまの右手を握り、
 “おじいちゃまはあぶないから、おばあちゃまと手を繋ぎなさい”、と私が妻と手を繋ぐことを確認するまで納得しない状態で狭い人通りの多いところでは当惑したこともありました。
 そんな孫の刺戟された訳ではありませんが、最近は
ハダカンボーの問題はずいぶん楽になりました。
 失語症の私には「はだか」の単語がずいぶん難しいのです。「はたか」と「はだか」の濁音の意味はその存在の可否を含めては意識的に確認しないと判別ができません。
 「経験的に脳裏に整頓された情報を手際よく采配される機構」が一部支障していますので、私は「
はだ」から「」を連想し、「はだか」と「はたか」の区別をします。
 かくて、「はだ」から「ハダカンボー」に移動します。一つの言葉に曲折が必要です。
 通常は、3歳未満の幼児で分かるように、「裸」という姿・現象に遭遇すると自動的に反応すると自然にそして滑らかに発する言葉・「はだか」は既に無意識的に組み込まれた回路がありますので、リハビリによって取得した「はだか」と言う言葉は回路の修復という意味では新規な言葉の構築になると思います。
 この事は単なる瑣事かも知れませんが、言葉に限らず、思索・推理等全般でこの様な事の積み交せで成立しているのが失語症の生活です。
 (ですから、言い難い言葉に出会ったときにその言葉がたまには自分でもビックリする位スムースに出てくることもありますが殆どは苛立たしい壁に阻まれ逡巡します。
 苛々しながら集中していると私の場合は
右こめかみ”にビリビリと痺れが起こります。特に最近感じております。) *(追加)

 視点を変えて言えば、失語症者は日々の対応に、language よりも cognition面 において、より不満を抱いていることを知って頂きたい。そういう切なる要望を人知れず持っていることです。
(その点では若い障害者は生きるスキルやノー・ハウが身にあまりついていませんから障害受容として更に深刻な問題があります。)
 つまり、単なる一方方向の指導カリキュラムは当事者の意欲を殺ぐ傾向がないよう配慮する必要があります。
 ダイレクトに言えば、友の会の執行にはSTの係わり方を更に発展的役割に変える必要を感じています。
 主役としての会話指導は不要と思います。つまり、処々にある失語症友の会のような会では、(特に構音障害者が参加いている場合は)、発症後の経験の豊富な方が居られるので、大田先生の言われる通り、
”一番の失語症の方のパートナーは、やはり失語症の方なんですね。これが、一番の特級のパートナーですよ。一番の特級のパートナーを盛り上げ養成し、障害のある人たちがバラバラにいたんでは話しにならないので、それをきちんと受け止めてくるくるっと加工して、世の中一般の人たちに伝えうるのが、ST専門職なんです。”  …と思っています。
 たしかに地域には言語障害者の面倒を献身的に看てくれるSTは当然多いのですが、見かけは優しいが明らかに専門知識不足と思われる暴君に等しいSTに会ったことがありました。
従って、STと共に従来のSTに代り得る新しい推進役、つまり協調歩調で参加して頂く方の登場を待っていました。それがこの2〜3年に定着しつつある「失語症会話パートナー」でした。今後「失語症会話パートナー」がSTに代わることで、失語症者の組織及び活動に本来の目的が鼓舞されると信じていましたが、現実は大変厳しいようです。
 
 * 失語症会話パートナーは、地域ST連絡会の養成部会が2001年1月準備会にて基本概念と方針決定し始めました。平成10月28日第1回講習19名を、飯田橋セントラルプラザ多目的室にて行い、その後約30名の受講者を対象に平成14年1月25日第4回講習会(受講者:33名)(於渋谷区総合ケアコミュニティー)を実施、その後は東京都より認証されました特定非営利活動法人であるNPO法人「和音」に内容及び人材とも引き継ぎされました。
 地域ST連絡会は、地域の障害者福祉センターや保健福祉センター、介護保険施設、医療機関に勤務するST(言語聴覚士)の情報交換会で
す。会員数は平成17年度総会現在時84名と聞いています。
 「和音」は「地域ST連絡会」を母体とし、「言語障害者の社会参加を支援するパートナーの会」の発展的組織と理解しておりますので、今後の活動を見ないとよく分かりませんが、「地域ST連絡会」がSTの職能団体に比べれば「和音」広く一般参加を呼びかけている点は画期的のことであり、私たちは感謝しておりますが、この法人の設立当初の役員は、地域ST連絡会の出席者の構成員と役職(代表、副代表)は変わっても全く同じである事に少し寂しく思っています。
 また、平成12年1月16日に国家資格を有する言語聴覚士の職能団体として発足しました”日本言語聴覚士協会”が存在していますが、国家資格を有する有能で経験豊かなSTが医師を中心に編成された医療スタッフのもとで幅広い活動分野があるの思いますので、全ての点でその協会との整合性がよく分かりません。このことは国家資格の成立経過とSTの在り方に係わる問題ですから、割愛しますが、地域ST連絡会が失語症会話パートナーの養成部会を発会したときに、STの国家資格試験の移行措置があり、それは平成15年で終了したと聞いていますので、その間新体制で養成された若いSTも登場しましたので、いろいろと複雑な問題があると思います。
     参考: ”『言語聴覚士及び言語聴覚士指定講習会について』”

 そこで以上ことは別にして和音の活動として考えますと、「和音の活動」には次の通り表示があります。
 ・ コミュニケーションサポートセミナーを開催します。
 ・失語症会話パートナーを養成します。
 ・失語症会話パートナーを派遣します。
 ・研修講師を派遣します。
 ・失語症者のグループ活動を支援します。
 ・コミュニケーションお助けグッズを開発販売します。
 ・言語障害についての相談を承ります。などなど
 を挙げていますが、その中の1つとして「失語症会話パートナーを派遣します」と言っても、現状を見る限り、各友の会に参加している失語症会話パートナーは殆ど活動の役割が与えられず恐らく無料のボランテァではないでしょうか。また、私の知る限りSTは和音からの派遣ではなく以前からの拘り合いで指導に来る方が殆どではないかと思いますし、また予算化さられています。
 顰蹙を頂くことを覚悟に申し上げますが、今の状態では失語症会話パートナーはSTの小間使いに見えます。行政の担当者は言語障害のボランテァについてはよく周知されていません。
 しかし、「言語障害者の社会参加を支援するパートナーの会 和音」として理念をもって構築された新しい組織[特定非営利活動法人]NPO法人(Non-Profit Organization)は慈善事業ではないので、当然、相談業務・派遣業務等は予約・有料で(相談料金は一件につき6000円)、現在の事業の企画・人材の実体は、今のところ、明に、職能者の地域ST連絡会のサイドビジネスの様相は避けられないと思っております。
 しかし、法人化した以上、STが指導者ですべてその企画に則って運営する手法は早晩会自体壁に当たるでしょう。ST、会話パートナー、失語症者に対する平等は失語症の対応には構造的に不可欠なものだからです。
 STは失語症者を指導するのではなく、失語症者から取得した情報をもってリハビリの推進を行うものですから…。

 今後どの様に運営するか期待を持って見守って行きたいと思います。

 また、失語症会話パートナーの設立準備会は失語症友の会と密接な連携で成立したようです。
 つまり、失語症会話パートナーになられる方か殆どが家族や身内に言語障害に悩む方が参加ようですが、最近には友の会のボランテァや広告で知った方等で参加動機が広がり必ずしも失語症者に接触してない方もおられるようです。例えば、地域ST連絡会失語症会話パートナー養成部会編「失語症の人と話そう」には「鰺」と言ったが相手に伝わらなくて別の方が言った「アジ」に喜んで同意しとことが書いてありましたが、アンケートの結果でも、失語症者の家族と接触のない人では理解に隔たりが見られるようです。私も他の人は理解しない会話でも妻は私の言いたいことを注訳しくれますから。
 全て、今後の活動に期待したいと思います。 (追加)*


 また、この3年前からインターネットのネットのうち特定のリハビリ施設の言語療法士の解説は医学と医療技術の進歩をよく取り入れ現場の経験の蓄積があり分かり易いものが、数は少ないのですが、見られるようになりました。
 しかし、何と言っても、“高次脳機能障害”、と言う名称が人口に膾炙されてから行政もマスコミも注目度が上がったのは紛れにもない事実です。寧ろ、遅きに過ぎた
と思っています。私は、失語症の実態は発音以前の“語”の構築に問題があると実感しています。それが従来よく見えなかったが、(同然専門家は認識していた)、最近の脳疾患が増加により、必然的に高次脳機能障害の一部として考えられるようになったと思っています。
 それについては重複しますが、このHPの”タイトル変更の経過文”についての中の1文を引用します。

 要するに”失語症”は”高次脳機能障害”の1分野として考え・受け入れなければ現状に合わない事は明らかで、それは全ての分野で実証済みだと思います。科学の進歩はヒトの権利を拡大し、それは病気との闘いで医療として生きる権利の拡大を担っています。
 しかし、医療や社会の発展は新しい事柄や病気に対する挑戦でもあります。医療が高度に進むにつれ逆に疾患は増え複雑化します。
 卑近な例は最近のモータリング技術の進歩でバイク等の交通事故の増加と同時にその医療措置の発達は以前の死亡事故を命長らえ能機能障害を残す方が多いようです。そういう方が多くなると従来と異なり、脳機能障害でも症状の程度・種類・年齢が変わり、特に”職場復帰・社会復帰”が避けて通れない問題になります。臨床的対応も変わざるをえないと思います。それが時代の要請でもあると思うのです。

 
 失語症に対する高次脳機能障害との対応は、同時に進行してきたSTの国家試験の導入、失語症会話パートナー制度の育成・援助等の環境整備と失語症者及び家族の諸会への参加等があいまって失語症のすそ野を広くしました。顕著なことはインターネットでそれに類するサイト数が多い事です。ある日、Yahooで検索すると、高次脳機能障害のサイトは約11,000ありました。数が多いとそれにつれて内容も多角的になります。ここでは失語症を単なる”言葉が言えない”と言う扱いではなく、その実態を的確に定義しています。
 例えば、失語症とは:『他の人に意志を伝えたり、他の人が伝えてきたことを理解したりするこ
とが難しくなる。』…と言うように。
 そして、その説明内容の2つの例を挙げます。
 
 ”(「ハイリハ東京」高次脳機能障害の実態)”

では、『失語症 ― コミュニケーションの困難』として以下の通りに書いてあります。
 
 話す、聞く、読む、書くなどの障害です。他の人に意志を伝えたり、他の人が伝えてきたことを理解したりすることが難しくなります。
  非流暢性失語:
 ほとんど話しをしない、努力してつっかえつっかえ話し、句の長さは短く、しゃべり方が遅く、リズムや抑揚の乱れがある失語症を指します。
 
  流暢性失語:
 話す量はほぼ正常、努力して話す様子は認められず、句の長さは正常、話す速度も正常、リズムや抑揚の乱れもないのですが、「とけい」を「めけい」という、あるいは「とけい」を「めがね」というなどの言い誤り(錯語といいます)が多い失語症です。
 特に言葉を聴いて理解することが難しいという症状の場合、このタイプに当てはまります。
 非流暢性失語と流暢性失語の両方の症状を併せ持つ場合もあります。

・当事者達・家族達のコメント

★入院していた時に、同室に失語症の人がいたのですが、体に麻痺などは何にもなく、スタスタ歩いていて、一見なんともない人のように思えたのですが、僕の言ったことはちゃんと理解してくれているのに、言う事が文章になってなくて、会話が成立しないので、書いてもらおうとしたのですが、もっと駄目でした。
★話す事が相手に思うように伝わらない、やっと伝わると言う状態。読むには読めるが、理解出来ているかどうか?
★色々持ってしまった障害の中で失語症が、一番重大です。
★簡単な単語が出て来ない。本が読めない。
★相手の話やテレビの内容などその場では理解は出来るようだが、自分の意志表示は出来ない。
★漢字、英語などは比較的理解出来る、ひらがな、カタカナが解らない。

 『交通事故110番』「高次脳機能障害の徹底研究」「高次脳機能障害の代表的な症例」「失語症」と辿って見ますと、その中に記述があります。

 人と話したり、人の話を聞いたり、本を読んだり、字や絵を書いたりすることがうまく出来ません。
 私の経験則では殆ど話をしなくなってしまいます。稀に話しても言葉が出なくて頻繁に中断します。
 他人とのコミュニケーションが成立しません。
 私の母親は脳梗塞で右半身麻痺と失語症になりました。
 表情は豊かなのですが、話せる単語は「おかしいなー?」だけで言葉は全く出て来ません。
 私は大きな画用紙に平仮名の50音表を作成し、病院に持参しました。
 つまり、言いたいことを指で示すように仕向けたのです。
 しかし、これは全く出来ませんでした。字も全て忘れている様子で「愕然!」としたことを今でもはっきり覚えています。
 逆によどみなくスラスラ話が出来るのに、突然とんでもないことを話してしまうのも失語症です。
 これは錯語と言いますが、なんでもない簡単な単語を忘れてしまったり、間違えて理解しているために起ります。
 足を「爪切り」と言ったり、自動車を「ライオン」と言ったりするのです。
 私が担当したある被害者は、日本石油のガソリンスタンドの前で交通事故受傷したのですが「ここは何処ですか?」と尋ねると、何処にいても「日石石油」と答えました。
 このレベルになりますと「終身労務につくことが出来ない」として3級か、もしくは「極めて軽易な労務以外は服することが出来ない」として5級が認定されますが、被害者にとっても、家族にとっても大変深刻です。
 従って、私は受傷後6ヶ月を経過すれば、出来るだけ早く症状固定として、後遺障害診断を受けなさいと強力に推し進めているのです。


以上の解説にように後遺症を配慮においた説明が多くなったようです。

また、障害者の集まりには、必ずと言ってよい位医師や治療者への不満があります。それは、“あなたはこれ以上良くならない”と言われたが、実際はこの通りであるとテレビ・雑誌・インターネットで学習した最近の治療技術の進歩の記録を披露する方もありました。今回は、実例は割愛しますが、未だセカンドオピニオン制度が定着していない現状では深刻な問題であることは間違いありません。

また、私がたまたま見た失語症に関する興味深いニュースがありました。

『字読めない「失語症」、英語圏と漢字圏で原因部位に差』(2004/9/2 読売新聞)

 脳卒中などで文字が読めなくなる「失語症」は、アルファベットを使う西洋人と漢字を使う中国人や日本人では、脳の損傷部位が違うことが、香港大の研究で分かった。
 文化に合わせた治療法の必要性を示した結果で、2日付の英科学誌ネイチャーに発表される。
   欧米を中心としたこれまでの研究では、失語症の人は、文字のつづりを音の固まりに分ける過程に障害があり、左脳の「頭頂葉」や「側頂葉」などでの神経活動の低さが原因と考えられてきた。しかし、香港大のリ・ハイ・タン助教授らが、先天的に失語症である中国人の子ども8人の脳を、磁気共鳴画像装置を使って調べたとこる、左脳の「中前頭回」という西洋人とは別の部位の活動性が低いなど、これまでの実験結果とは大きく異なることが分かった。文字自体は意味を持たない表音文字のアルファベットを使う言語と、表意文字の漢字では、脳の読み方の仕組みが異なるらしい。研究チームは「理という漢字のなかに読み方の表す里が入っているなど、漢字の読み書きの仕組みは大きく違う。文化に即した治療法の開発などにつながるのではないか」としている。

 
 発症以来、失語症にとっての漢字と平仮名・カタカナの違いを実感している私には意味深いニュースです。 そう言えば、これと関係がないかも知れませんが、私発症後約5年あの有名なフランスのナポレオンとなかなか言えなかった。ナトレトン、ナポレトン…、こんな文字(?)がメモ書きに残っている。今では言いたくても言えないけれど…
 
 以上失語症を取り囲む環境の変化の一端を紹介しましたが、「日本失語症学会」は2003年1月1日、「日本高次脳機能障害学会」に名称変更をした現状をご覧頂ければそれだけで充分な説明になると思います。

 たしかに失語症に対する環境の変化、罹病者の年齢の低年齢化が進んだとしても、失語症が変る訳ではない。失語症者にとって最も大切なことは、“何ができるか”ということです。それを検証する道程として周囲の障害者を睥睨することでありましたので、冒頭に障害手帳に触れました。その結果は、結論から言いますと、私の拘る障害程度の現実との乖離の問題です。
 具体的に申しますと、失語症者は社会復帰・職場復帰が極度に難しいということです。サイトでもご覧になれますが、高次脳機能障害の範疇に入るといわれる分類項目、即ち、「半側空間無視、半側身体失認、地誌的障害、失認症、失語症、記憶障害、失行症、注意障害、遂行機能障害、行動や情緒の障害」のなかでもでも、“色々持ってしまった障害の中で失語症が、一番重大です”という見解です。
 この現状は関係者の常識になっています。

 前に触れましたが、「全国失語症者のつどい」の座談会に失語症者が出演するということで私も希望をもって聞きに行きました。
 しかし、参加した感想は、失礼ですが、寂しいものでした。一語で言えば、“矢張りなー”、と言う私自身へのため息でした。(詳細は事務局から発言内容の記録が届いた後にします。)
 また、それとは別に、第1回の全国失語症者のつどいを始められた言語聴覚士の遠藤先生が別な会場で「介護保険による失語症デイケアデイサービス」等について講演の後、その座談会で次のお話をしました。

 『失語症者がそのまま出て行ける社会はないとお話しした直後に実際に給料を得て働いておられる方がすでに2人もおられるというお話しで、素晴らしいことだと思いました。
 復職できればそれが一番いいとだと思いますね。

 社会参加ということの中では、曲がりなりにも元の職場に戻れるということが最大の幸せ、最大の社会参加であろうと思います。それがかなわなければ職業を変えて、あるいは職種を変えての配置転換ということで、障害年金に加えて収入が得られるということは、次のめでたいことであると思います。
 それが、かなわないとしたら、やはり朝起きた時に出かける場所がある、あるいは習いたいことがある、という生活が次の目標であるかと思います。
 その場合に、今まで平成12年までは、殆どそういうチャンスがなかったわけで、介護保険が出来ましてからは脳卒中の方は40歳以上であれば、介護保険の通所施設で受けてもらえる、通う場所があるということで、私自身は、介護保険の通所サービス、デイケア・デイサービスにSTを雇ってもらってそこで、失語症の仲間作りをしていきたいと思っております。
 うまくいくかどうか、皆さん方がこれから各地元に帰って、ご自分の地域に同じ障害の仲間がどのくらいおられるかということにかかっていると思いますけれど。朝起きた時に出かける場所がある、会える仲間がいるということについて介護保険が役に立つということを、今回この会場で強く訴えたいと思っております。』


 先生は失語症者にとってはカリスマ的な方ですから失語症者の現状を全て把握しておられますので、今回の大会提言「社会参加の場を求めて、足を踏み出そう」をテーマに合わせ座談会で大局的見地に立って言っておられます。聴衆には説得感があり流石と納得します。

 しかし、失語症者の視点は、社会復帰の希求意欲が旺盛であればあるほど、切迫した焦燥感に苛まれる環境にあって、より形振り構わない荒げ刷りのものです。場合によっては理解者に顰蹙をかうことも度々です。
 失語症者の参加人数の最も多い集まりである「失語症友の会」が各地域にありますが、その一部ついては、以前、”失語症を考え・語るその1”で記述しましたので割愛しますが、今回の「全国失語症者のつどい」の企画・運営は健常者であることは明らかな事です。地元の県立大学の助教授であられる事務局長を筆頭に大学・専門学校の教員・学生・ボランティ等が参加者に対応しておられました。駅の階段の上り下りまで親切に面倒を看てくれて大変感謝しています。そうようななか、壇上で会員が司会等発言すると即座に違いが分かりますし、健常者のエスコートが付き添ってくる事も通常です。

 そのような場面に出と合うと私は、失語症者は海苔床の綱に付着している海苔に等しいと思うのです。海の中を漂う胞子が成長するためには必ず付着できる綱が必要です。つまり、海苔床のないところには海苔は見かける事はないのですから。勿論、自立し社会復帰している方もいることを否定しませんが、そうゆう方は病気がずいぶん軽い方、つまり、障害手帳の必要のない方の場合と思われます。(社会復帰の内容の定義は人それぞれによって違いますが)。また、おられるとしても、全体の1%に満たない、と言うより、p.p.m.の段階だと思っています。つまり、失語症者の自立は大変困難になっていることになります。

 従って、“何ができるか”と言うことは、詰るところ、家庭以外に自分の居場所の確保が究極の問題になります。
 朝起きてから出かける場所がある
 安心して自分を表現できる場所がある
 楽しく過ごせる仲間が居る

 結論から言いますと、失語症者が求めているものは単なる発声練習だけではなくそれぞれそれなりの遣り方で社会復帰を望んでいます。
 
私はある日妻が孫たちにあげようと買って来た木工造りの玩具の見て癒されました。
 後になって知りましたが、失語症の人達の作業所として全国に先駆けて1983年にスタートした、共同作業所あしたば・”「きらっといきる」”の作品でした。
障害者の心の篭った温もりが感じられました。どうぞご覧下さい。

  なお、そのプロフィールには以下の通りのコメントが載っております。

  あしたば作業所は現在、全国で5,000ケ所以上ある共同作業所の中で、失語症の人達の作業所として全国に先駆けて1983年にスタートしました。脳梗塞、脳出血等の脳血管障害のある人達の働く場として、現在約19名の方が通所されており、ほとんどの人達が失語症、半身マヒというハンデを持ちながら、木工の組み木とパズルを中心に製作しています。製品は、約60種類、120アイテムと豊富で、全国約20ヶ所の委託販売とイベント販売、カタログ販売を行なっています。犬、猫や色々な動物をはじめ、お雛様やクリスマス、節句等の季節物も多数に取り揃えており、プレゼントとしても喜ばれています。

パズル『5匹の動物』 パズル『座りびな』
 最近、脳の再生能力機能が見直されているようですが、私自身のMRIで部分的に壊死した脳の画像を見る限り、矢張り、この疾患からの回復の限界を身を以って感じています。
 ようやく引き篭もりから開放されても、言語及び身体の回復が遅々として進まず、明日の見通しを模索する方、また症状が定着している方、更に症状が後退を与儀されている方は多いと思われます。
 そこでは、畢竟、ただ集りゲームや簡易な言語練習では障害者の単なる介護の範疇になるのではないでしょうか。
 勿論、失語症者にはつどいに参加する機会は貴重なものですが、大切なことはその流れがパッシブル(passive:受動態)になりやすいことではないでしょうか。
 こころのコミュニケイションの啓発には、自立を促進するためのアクチブ(active:能動態)な自己生産的行動を伴う施設と企画を希望していると思っています。
 具体的には、需要にはあまりにも供給の少ない障害者のためのパソコン指導(私の知るところでは東京23区の障害センターでは今のところ新宿区、港区、豊島区等数区)や、各地域に点在する主に認知症者の作業所、「あしたば」、”「パソコン工房ゆずりは」”の活動等ですが、問題は受け入れ人数が極々限られている事です。

  05.02.01.
* 05.07.17.一部追加



 戻る

トップへ戻る