今年で発症後9年が経過しました。
最近は、私の表情と垣間見ながら一言二言挨拶をすると、
 
“この間お会いしたときよりずいぶん良くなりましたね”と、言ってくれる方が多くなりました。“この間”という期間の設定が人によってまちまちですが、その方の表情からそれなりの感触は私にも感じられます。
 
初めてお会いした方から、“言語障害ですか、言われなければ分かりませんよ”、と言われることもあります。

 つまり、差障りのない日常会話ですと自分で発音できる言葉と内容を選びますから、案外相手の方は障害を気にならないでしょう。(と言うまで回復が進んで事になるかもしれませんが)

 ところが具体的な必要が起こると状況は一変します。

 「先日、“幡ヶ谷”という名前が言えなくて困りましたよ。」
 
私が相手の方にそのようなことを言いますと、
 
「私だって、あれあれって、そこ迄来ているんだけれど出てこないことがありますよ。特に最近は歳の所為か多くなりましたがね。苛々する気持ちは分かりますよ」

 一般的に言われる“度忘れ”についてお話をします。
 
それは私に親切で仰っているのはよく分かります。
 
しかし、その親切には申し訳ありませんが、失語症者が言葉が出てこないという実態は健常者の場合とは異なるのです。

 度忘れは、加齢によく見られる脳血管の末端が所々損傷された“隠れ脳梗塞”に起り易いと聞いたことがあります。

 しかし、失語症者の場合は既に多くの脳細胞の欠損がありますから、単に言葉が出ないと言っても、当然各個人差が大きいと思われますが、一般的に言われる度忘れと異なりその実態を体感していながらその用語が思い付かない点では脳活動の不穏意な現象になります。

 ですから、日頃よく乗っているバスの停留場の名前でもなかなか出てこないことがしばしばあるのです。
 
その名前以外その場所も全て思い出していますが、どうしてもその名前が思い出せないのです。何か書いてある文書等があればよいのですが、生憎持ち合わせがないとその場におられる方が知り合いでしたら直接お聞きすれば簡単な事ですが、見知らぬ方では事情を説明して聞く訳にもいかず、普通はその乗り場の案内板で漸く確認し、更に乗り込むことを待って、名前を探して何回か暗唱して乗ります。しかし、その際そのバスの路線が途中で行く先が分かれていたときに私は運転士にそこに止まるか否かを質問しましたが、時によっては運転士が怪訝な顔をして何回を聞き直すことがありました。

 単なる一つの名称について大袈裟なことを言っていると不愉快な感じをもたれる方もおられると思いますが、実際、失語症者の会話にはそのような厄介な単語やフレーズに対する対応がプレッシャーになります。

 また、“巣鴨”と言っても、ふとした途端に、“すまま”になって自分でも可笑しいと感じて混乱する事もあります。そして、それは正しい発音が蘇るまで“巣鴨”という文字も脳裏から消えてしまいます。

 ですから、言語については、特に喋るときには、ずいぶん言葉を選んで呼吸を整え緊張していますので、人に会うことはとても疲れます。会議等に出ますと、加齢による体力の衰えが大きいことがありますが、直接発言しなくても緊張に疲労が翌日まで残ります。

 会議の場合は自分の属する組織の主張を反映する任務がありますから、意志表示は不可欠です。しかし、利益体表は会議の流れのタイミングを待ってくれませんから、主張点に必要な単語がなかなか出てこないことは困りますが、特に固有名詞が記憶の隅にあっても出てこないことには相変わらず苦労しています。

 自分の主張が正しいと確信をもっていても正々堂々と論破できない焦燥感、苦渋は障害者の社会復帰の問題として諦めていますが、これが生活の収入源であったとしたら私では耐えられない重圧です。

 しかし、主催者の特別配慮ある会議の場合は、議題項目について事前に文書で見解を出来るだけ提出するようにしていますが、それが受け入れるためには議場以外の厳しい根回しが必要なことが残念なことです。

 一般の単語の場合は、全てではありませんがその言葉によっては時々その使用の際に、その構成因子の配列に混乱がありますが、これは慣れ、つまりリアビリによる練習で回復の可能性があると思っています。

 航空機に乗ると着陸の際に気圧が下って耳が聞こえ難くなり頭に痛み感じますが、先日、孫と連れてアメリカに行った時、日本の国内航空機ではあまり言わなかったことですが、その時は4歳の孫には、長い飛行時間もあるでしょうが、“もうアメリカなん来たくない”と云う程ずいぶん辛かったようで、自らに言い聞かせるように
 
“こうゆう時は欠伸をすれば直るよ、おじいちゃま”、と言いました。
 何かと教えてあげるという態度は、日常私の会話の渋滞に口を挟む習慣になっていたのです。

 しかし、私は即座に“あくび”と言えませんでした。

 私に出てきたものは、「あぶき」、「あきび」、…「あくび」でした。

 つまり、私の記憶から具体的な言葉を構築する連絡経路が極めて隘路になったと思っています。“それをスムースに連結する、つまり、解体されている部品を紡いで製品にする、無意識に定着する行程を安定化すること、…それがリアビリである”、と経験的に理解しています。

 つまり、長い期間を経た私なりのこの経験的判断・理解は間違っているも知れませんが、その判断の背景にはSTの指導に私なりに重要な疑問持っています。

 よく知られているSTの言語指導・研修を参加していますと
 
「失語症者は直接言葉を言うには大変だが歌にすれば言える」と、歌を歌ってそれを導入の契機している指導に出会う事があります。

 最近は様子が分かったようで私には持って来ませんが、2年前には孫が絵本を持って来て私に“読んでくれ”と言われたときには暫しだじろきました。孫が納得するような読み方は私には不可能でした。
 
当時の私は日課のように歌を歌っていました。運よくたまたま私に適当なCD、“鮫島有美子愛唱歌集”DISC1、2,3,4,5.がありました。この歌集はかって慣れ親しんだ懐かしい曲が多くありましたから望郷の時間でもありました。自然に涙がでることもありました。

 今から思うとよく喋れないことに対する反動の凝縮と理解していますが、別に歌からよく言えることでなく、リズムに乗って歌特有な単語の連結の時間とその内容の配列が発声を楽にしているだけで、読むと言う機能は歌によって向上してはいない。それは私の実感ですが、私が参加した言語指導で個々の失語症者の歌っている様子を観察すると明らかことです。

 歌を歌っても、平常発音し難い方は歌詞は言葉ではなくハミングでリズムを追います。

 個人差がありますら誰にも当てはまるとは言えませんが、一般的に失語症のリハビリで文章を読む練習があります。書店で売っていますが、漱石の“坊ちゃん”、“我輩は猫である”、や、“高瀬舟”等古典をそのまま漢字に仮名を振ってある教本が販売してあります。

 そのような教本を使用しても、歌の歌詞を使用しても基本的には読む能力には変わりはないと思っています。

 歌を歌うことは指導上手なSTの運営進行技術としてはとくに有効であるが、私の勉強不足かも知れませんが、失語症者にとっては、歌を歌う効果が医学的臨床的に証明された記録は聞いたことはありません

 失語症の回復が進んでも、発症前では通常、何となく出てくる気楽な鼻歌さえ歌詞カードがないと歌えないようになりました。実際、“失語症は、歌は歌えます”として指導しているSTでも必ず、歌を歌うときには歌詞を配布します。

 私は、リハビリは単なるリズムではなく当事者の脳内部の言語野の主体的構築にあると実感しています。

 私が何時からかは定かではありませんが、歌を歌わなくなりました。忙しい事が最大な原因ですが、如何もよく考えると、私が、書いたり、いろいろの作業のときに我知れず“独り言”を言い始めた頃ではないかと思っています。

 ですから、いろいろと問題があるとしても今までは、時間をかけて、場合によっては辞書・資料や誰かの助けを借りれば何とか会話が可能な範囲まで回復しました。特に文字による文章表現は随分楽になりました。従って、失語症の内容は個人個人みな違いますが、失語症者を既に出来上がった、文字になった文章のみで判断することには一般的に危険があります。どんな障害でも云える事ですが、特に失語症者の場合は、恐らく、直接お会いになってみると、想像との落差を感じるでしょう。

 もう一つは
 失語症の症状の“保続”がなかなか抜けない点です。

 保続とは失語症者が同じ言葉が何度も繰り返し出てくることを言います。

 私も失語症の言語教室等で、練習している一つの言葉が言えず、その代わりに別な発音をしてしまうことがあって目的の言葉を何度もST(STになる学生)から催促されている失語症訓練に出会ったことは少なくはありません。私としてはあまり無理に踏み込まないで、間といますか話題やタイピングを変えると案外楽になるか知れないと思うことがあります。(素人が余計なことを言って専門家にお叱りを受けるか知れません)

 現在の私はこの保続という症状は単なる単語や事象の認識だけでなく、思考にかかわる部分に自覚なく起こることに辟易しています。

 分かり易く言いますと、勘違いが起こり易いことです。一度見たり、聞いたり、調べたことは、不確実のまま受け容れ、発症以前は当然作業の途中で分かる筈ですが、現在では殆どそれを確認することは難しいことです。

 つまり、数値、文字等の情報を受け取ったとき、自分では慎重に確認している積りで対応していますが、実際は、視覚や聴覚、時には振動の感触で受理したその情報が必ずある確率で私の記憶には間違った情報として定着することが避けられないのです。
 脅威なことに、ある実体の上に別の画像が不可抗力に入れ替わってしまいます。
 この疾患を受ける前であったら容易に気が付く筈の論理的矛盾など無防備に受け入れ、少し込み入った作業になると、途中から辻褄が合わなくなり、パニックになり中断することは度々あります。
 また、何か終った積りでいても、翌朝見ると、こんな筈ではない…。
 血が引ける思いに苛まれる。

 数値、文章の形態、内容も間違っている、これでは信用にかかわる、到底、外に出す訳にはいかない。データー導入処理におけるミス、私が最も避けたいと思っていた許されない事務ミス、つまり現役の時の生活から見れば、人間失格に等しいことです。
 “やるしかない”、惨めに耐えて初心発起。ずいぶん時間と能力を使っただけにダメージが大きい。
 しかし、悲しい事にこのてんは回避できません。

 (しかし、この問題は見方を変えると、私自身は、発症時ではスプーン、鉛筆、消しゴム、眼鏡、歯ブラシ、100円玉、爪切り、洗濯鋏等を使用して行う“失語症の『把握・理解障害の程度』”の調査の一環に中るものと理解していますが…)

 つまり、“言葉が出て来ない”、“保続”についても、このような障害の現象は私が後にご紹介したいと思っている高次脳機能障害者によく見られる、ある程度回復した、脳血管障害による「斑(まだら)現象」と思っています。

 最近、高次脳機能障害の方にお会いしますと、一見正常に見える方が、“一寸(ちょっと)おかしい”という症状にあいます。
 私も当初「高次脳機能障害者と家族の会」に参加したときには、“何でこの程度では問題かないのではないか”、と理解できない場合が多くありました。
 しかし、時間をかけてその悩みを伺ううちに、脳血管障害による「斑(まだら)現象」の深刻な実態が伝わって来ました。
 その一人の方
ご家族のお話”をご覧下さればよく分かります。

 そんな訳で未だに同じ様な状況を繰り返しをしておりますが、今後は、それだけに集中し、それが思い枷になっていた、と言うよりも、それが自分自身知らず自らに課した叱咤・激励であり、厳しい義務と思っています。

 今なれば、結果としてそれが障害に耐えることと考えています。厳しい宿命ですが…

 発症当時から現在を省みれば、紆余曲折があるにしてしても、後遺症の回復は明らかに進んでいると思われます。私の回復は加齢による衰弱と習慣病の進行がありますから、限界をつくづく感じていますが、ゆとりを受け容れなければならないと思っています。

 つまり、記憶喪失と思った初期の段階では、足し算、引き算、もずいぶん重荷であった計算、やがて壁に貼ってある9・9の表を見ながらではあるが簡単な掛け算、割り算に進みました。

 現在では、私の発信はパソコンに依存しております。直接ペンを用いて文字を書くことはなく殆どワードやエクセルを使用します。簡単な計算はエクセルの関数を使用しますが、問題はその数値の打ち込みに間違えが多いことです。
 何しろ未だに電話で言われる相手の電話番号、特に携帯電話の番号を間違いなくメモすることがとても大変ですから、その事情を分かって頂く場合以外は聞かない事にしています。

 私を支えてくれる最も重要なパートナーはパソコンです。

 私は常にパソコンと会話し反復確認します。

 いわば今までの世界との中断に等しい、情報を取り入れ・消化する能力、視野は遠近を失い、発信が出来ずに孤独になる境涯からの脱出が私を支えてくれた人への返信と思っています。

 しかし、その間にも世の中は急速に動いている。

 気が付いた時に感じた感想は、“世の中は三日見る間の桜かな”…

 最近は血管障害者の交流会で失語症の方に会う機会があります。元々、失語症の方は殆ど身体障害を受けています。私も右半身、特に右脚から腰には痛みがあり、手摺のない階段は怖いし、歩道は青信号に替わったときに渡ることにしています。

 全て程度の問題ですが、私がお会い方は失語症としては軽いようでしたから、発症後3年後でも私よりお話はずっと分かり易いが、杖を持っていて、身体障害手帳は身体が3級、言語4級、合わせて2級ということでした。

 また、53歳、発症後2年、障害手帳1級1種(肢体不自由上肢2級・肢体不自由下肢3級)の方、つまり、言語障害の認定がなくてもで自称失語症に悩まれている方もおられました。

                 ………………………………………………………………
 

 私のように世間が狭いと時代流れに遅れがちになります。

 私はどうしても介護保険が分りませんでした。
 私がそう言いますと、意外に思われる方がおられると思います。恥ずかしいことですがこれが偽らざる私の状態でした。

 介護保険の介護サービスを受ける立場になれば、いやおおなしに知ることになりますから、そのようなことを今さら言っていることは、ある意味で恵まれていると思われますが、すべての障害が介護認定に該当することにはなりませんので誤解がないようと願っています。

 高齢化が進んだ現在、テレビや新聞等のニュースで、介護の関する問題が報道されることも多いし、特に高齢者の認知症のドラマ見ると介護が如何に大変な事業であることに驚愕し涙します。そしてその結末は家庭崩壊であり全てと言って良い位当事者の死亡による沈静化であり、その原因を改善することが不可能としその悲劇を訴えています。

 1997年に法制化された介護保険制度は『介護の主たる担い手であった“嫁”や“娘”を重圧から救おうという声が女性らから上がり、介護を社会で支援する“社会化”を推し進める力となった。』 (毎日新聞2008/5/26)ということですが、それは当然な流れであり、今後ますます、介護サービスは障害者の支援に重要な分野を占めることは間違いないと思っています。

 ですから、当然、私の周囲で時々話題になっていましたが、それについての知識が殆どありませんので、それに入ることはできなかったのです。

 つまり、平成10年発症した私は、自分なりの遣り方でしたが家族を養いやがて子供達の世話を見て貰うことが、自己の生涯保険という旧弊な考え方に生活していましたので、介護には埒外のことと思っていましたし、発症後は当分の間は入院・治療から、外出まですべて妻のエスコートを受けていましたし、私の疾患の状態では別段外部の方から介護サービスを受けなくても日常生活には支障がありませんでした。
 また、必要があってもその受け方を知りませんでした。

 つまり、成人するまで近くに祖母が住んでいましたし、特に祖母は“男の子はお勝手に入っては行けません”、また力仕事には、“この仕事は男氏の役目だよ”と厳しく躾けられた生活でいたから、結婚以来私の収入はすべて妻に渡され管理されていました。しかし、私が必要な場合は妻に事情にお構いなく必要金額を請求していました。最近よく聞く熟年離婚になったら恐らく、4人の息子たちが何とかするでしょう。それが私の生涯保険ですから。

 ですから私も間もなく関わりになるであろう後期高齢者医療保険も保険に入っている人が高齢化により保険制度の充実による施策と言われても、今の政策施策では、それは年齢による世代の分断による排除の感があり、今まで継続してきた生活根拠・環境の不安は何か姨捨山の虞に慄く…それは私だけでは無いでしょう。

 元々、今では『介護』という言葉はずっと前から使われてきた言葉と定着していると思っている方が多いようで、新聞、テレビ等マスコミでも一般会話で最も使用頻度の高い単語になっていますが、この語源は “失語症を考え・語るその3”の中で記述しました通り極めて新しいものですから、云わば私の空白の時空(発症後から殆ど外界から隔離されていた孤立の間)に、世の中の流れに乗って急速に浸透した、『介護』というその単語についていけなかった当時の私には已むを得ないことと思っています。 

 しかし、最近は私の回復が進んだ結果でしょうか、幾分社会情勢は見えて来たようです。

 先ず、日常生活に知らずに入ってくる“デイサービス”という単語が分からず、辞書を見ましたが、見つからず和製英語でなかと気付くにずいぶん時間を要したような状態でした。

 誰でも生きていく為には情報の取得は不可欠なことですが、障害者の場合は出来れば当事者、少なくても支えてくれる方(介護者)の取得が必要なことは言うまでもありません。

 区役所に行き一様の説明を受け、何枚かのパンフレットを貰いましたが、担当者は質問には答えますが、こちらの聞きたい内容は良く分からないようで、説明は紋切り型な回答であり、私の知りたいその成立した社会背景等には、私の使い得る言葉の限界による説明不足でしょうが(これに私は常に発症前なら話題を誘導出来たのにと残念に思いますが)、触れることはありませんでした。

 その1ヶ月後区役所に立ち寄った時には、介護課のエリアは福祉障害課と同じ2階に移って障害課より人員も多くなり室も広くなっていました。以前私に担当した職員は配置転換で異動になっていました。

 行政の対応が変わったことを感じました。

 私が介護保険にいて拘る問題は、矢張り、失語症者に対する現状の対策に疑問を抱いたからです。

 私が始めて就職した若い時はとても健康に恵まれていましたから、健康保険証を3年間一度も使用いませんでしたので、終い忘れ再発行してもらった記憶がありますが、恐らく、全く介護保険に遠い方にはあのパンフレットを読むだけでは理解が難しいと思っています。

 因みに、介護サービスを受けるための手順を見ますと、

 @申請、A認定調査、B審査・判定、C認定・通知、D介護サービス計画の作成

 となっていますが、実際にサービスを受けなければならない必要に迫られた場合は案外簡単なようですが、当事者以外では具体的な目的の内容を知ることはかなり難しいことでした。

 申請については、「要介護・要支援認定申請書」を書きますが、その中に「かかり医師」の名前を指定しなければなりませんが、これは一名のみですから、日頃お世話になっている医師が、脳梗塞の担当医と糖尿病の担当医等いろいろある場合は本人の希望する介護に合う医師を指定するのでしょうが、本人が迷うこともあり得ることないでしょうか。40歳からの第2号被保険で指定されている16の定疾病のなかに「脳血管障害」も「糖尿病性神経障害、糖尿病性腎症及び糖尿病網膜症」が入っています。

 しかし、この点はB審査・判定で検討すると思いますから、単なる机上論を避ける意味で先に進みます。

 A認定調査は要介護認定の調査項目をご覧頂ければ分かりますが、区、市の担当職員が当事者の自宅訪問し、その項目を質問・チェックしますが、その内容は手脚の動きと認知症の進行を主にしたもので、静かに沈黙する症状には、介護の主旨にあまり中らないということになります。

 しかし、それは、先ず、【介護の主たる担い手であった“嫁”や“娘”を重圧から救おうという声が女性らから上がり、介護を社会で支援する“社会化”を推し進める力となった】の流れに沿ったものあり、心理的障害や高次脳機能障害の場合は今後世論の動向によりやがて変わると理解しております。

また、病気が回復すれば、介護度が4から3あるいは2に変わる事は珍しくないことですから、介護の現場を見ないとその結果は分からないことになると思っています。

 C認定・通知は、申請後一ケ月後通知されますが、内容は「要支援1・2」、「要介護1〜5」、「非該当」、とに類されますが、それは当事者にとっては、サービスを受ける機会や種類を決めるところでもありますから、当事者の予後に大いに影響があります。

 認定の内容は

 要支援1・2 :介護保険の対象者だが、要介護状態が軽く、生活機能が改善する可能性の高い人など。
 要介護1〜5:介護保険のサービスによって、生活機能の維持・改善を図ることが適切な人。
 非該当    :介護保険の対象者にはならないが、生活機能が低下している虚弱高齢者など、
          将来的にその危険性が高い人など。

 と分類されていますが、認定の判断には見た目に分かり易い身体障害・認知症が優先する傾向を感じましたが、その受ける内訳は

「要支援1・2」:予防給付、「要介護1〜5」:介護給付、「非該当」:地域支援事業ですが、具体的な問題として、サービスの内容診て見ますと

 @「要支援1,2と認定された人」に「利用できる介護予防サービス」として「在宅サービス」では、「介護予防通所介護、介護予防通所リハビリテーション、介護予防訪問介護、介護予防訪問看護、介護予防訪問入浴介護、介護予防居宅療養管理指導、介護予防短期入所生活/療養介護、介護予防福祉用具貸与、介護予防特定施設入居者生活介護、介護予防訪問リハビリテーション、特定介護予防福祉用具販売、介護予防住宅改修費支給」となっています。

 「地域密着型サービス」としては「介護予防小規模多機能型居宅介護、介護予防認知症対応型通所介護、介護予防認知症対応型共同生活介護」となっています。

 A「要介護1〜5と認定された人」に「利用できる介護サービス」として「訪問介護(ホームヘルプ)、通所介護(デイサービス)、訪問入浴介護、通所リハビリテーション(デイケア)、訪問リハビリテーション、短期入所/療養介護(ショートステイ)、介護予防福祉用具貸与、特定介護予防福祉用具販売、訪問介護、住宅改修費支給、特定施設入居者生活介護、居宅療養管理指導」となっています。

 「地域密着型サービス」としては「介護予防小規模多機能型居宅介護、地域密着型介護老人福祉施設入所者生活、夜間対応型訪問介護、知症対応型通所介護、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)、地域密着型特定施設入居者生活介護、」となっています。さらに要支援1,2の人は利用できませんが、「施設サービス」として

 介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)、介護老人保健施設(老人保健施設)、介護療養型施設(療養病床等)」となっています。

 @の「介護予防訪問リハビリテーション」とAの「訪問リハビリテーション」の違いは、@の説明:「居宅での生活行為を向上させる訓練が必要な場合に、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が訪問して短期集中的なリハビリテーションを行います。」のなかで、「居宅での生活行為を向上させる訓練が必要な場合に」という部分を抜いた部分がその説明になっています。つまり、Aの説明は「理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が訪問して短期集中的なリハビリテーションを行います。」になっています。

 また、

 @、Aを見るとサービスの内容は、例えば、@の「介護予防通所介護」とAの「通所介護」のように@は「介護予防」という条件がついていますが、それはすべて介護の程度が違いを示していますが、内容は一週間に一回二回毎日というように受ける機会が制限されるもの、つまり、「在宅サービスの支給限度額」(通常は金額に直すと1単位10円になる単位によって管理される)の範囲を示すもので、内容はケアマネジャーより作成されるようです。

 しかし、このような問題は当事者及び家族が直接直面すれば直ぐ分かることですが、これは施設を運営している事業所の採算と大いにかかわる問題ですから現実は厳しいものが報道されています。いまのところ人数では、「要支援1・2」に該当する方が、地域差はあるが、凡そ50%です。

 私が見て頂きたいことは、サービスを行っている実体は企業の採算が合うことが前提という事です。  

    登録型ヘルパーの月収10万円未満
    慢性疲労、介護職の6割超に
    9割の事業所「介護職不足」
    介護保険の改善は急務

 先日、介護度4の人が一時退院するときトイレの改修費の援助として「住宅改修費支給」から20数万円の援助を受けたということでした。それは普通に行われていることですが、私が気になったことは神奈川県の私の知人が開催している障害者交流会に参加した時でした。

 「何しろ、障害手帳を申請する前に、介護保険の認定を受けたほうが良い。

 他の事は分からないが、横浜の場合は介護サービスでベッドを購入すると一割負担で買えるが、障害手帳を取得してあると、そちらで買いなさいということになってしまんだ。方や国、方や市だからやり方が違うんだよ。」

 身体障害手帳は都道府県が発行元ではないかと思いましたが、それより日頃感じていた介護保険が障害度の問題にひたひたと忍び寄る陰を感じていました。

 従来、障害者に関することは障害福祉課がすべて扱っていました。18年度の障害者自立支援法の成立により、地域担当者は国の基準に合うよう関係団体等の意見・注文を聴取し「自立支援給付」及び「地域生活支援事業」の項目を整備し大変な苦労をして一部の修正をしましたが、それ以外は、障害者の最も重要な身体障害手帳はそのままでした。つまり、殆ど行く事はありませんでしたが、私の行く先は障害福祉課のみでした。

 ですから、地域の「失語症の友の会」もその障害課の管理している会場を優先的に使用し、その会員は自分の地域のサービスを受けていましたし、受けています。それは何処にもある地域が発行している「障害福祉のてびき」に載っています。

 例えば、障害者団体に触れますと、私の住んでいる渋谷区の場合は、障害者福祉課の関係団体として、21団体が作っている渋谷区障害者団体連合会の中に入っています。その連合会経由で各団体の事業計画を作成・提出認められ、「失語症友の会」の場合はその予算からSTの手当ては払われます。

 ところが、介護保険が出来てから事情は変わったようです。

 勿論、「自立支援給付」の部分では対象になる年齢と目的は大きな違いはありますが、年齢に関係なく身体障害手帳の種目・級別のような基準で受けられていたいろいろの特典やサービスが、65歳、場合によっては40歳から、介護保険と並列に受けられることには無理が生じます。勿論、障害者団体内部に人員の移動が起り得ます。

 恐らく、行政はその整備が迫られることになると思っています。

 私が、臆面もなく私の恥を晒して、介護保険について調べ・記述したのは、今までは失語症になり、退院すると、大抵は「失語症の友の会」に参加する方が多かったからだと思います。

 私もその一人でした。しかし、私は、友の会の指導ではこの障害には殆ど意味を見出せないのが実感でした。

 原因はいろいろありますが、最も根本的な問題は、「失語症の友の会」が銘打っているが、実際は「失語症の友の会」の会員は純粋(適当な表現が見つかりません)に失語症ではない方がずいぶん多いのは事実です。場合によっては、会の規約に「失語症と構音障害」と書いてあるものもあり、失語症と構音障害を同列に扱っています。その考え方はそれを指導するSTの職務に合わせたもので、それによって運営される友の会は、極端な結論と言われると思いますが、失語症に対応する組織ではあり得ない。つまり、会員の高齢化が最も主な原因であるとは分かりますが、社会復帰を放棄している点が現実、介護作業の一環になっている事です。

 高次脳機能障害半側空間無視、半側身体失認、地誌的障害、失認症、失語症、記憶障害、失行症、注意障害、遂行機能障害、行動や情緒の障害:の立場から見れば

 高次脳機能障害である失語症と、言語障害構音障害とは金属と非金属のように本質的に異なります。
 この主題には、特に、失語症を考え・語る.3で触れてきましたが、当事者の私から見れば、異人種に見えます。

 それは、以前に言いましたが、人間には分からないモンシロチョウの雌雄の判断が、メスに反射する紫外線を見える雄の複眼の目で見れば、いとも簡単に映ることと同様なことです。

 外部の症状に注目しては理解し難い内部要因が蔑ろにされる可能性があります。

 失語症者と言語障害構音障害者が混合では、当然、言語指導と言っても、参加すれば直ぐ実感しますが、然したる収穫は期待できず、その上、高齢化が進行している現在では、介護施設の催し物に参加ように仲間と時間を過ごすことになります。

 そのような経過を辿った構造的要因は友の会の成立とSTの成り立ちを紐解けば分かりますが、この問題を解決することは不可能であると考えます。

 このような言い方は、極めて無責任な主張と反感をもたれるのが当然と思いますが、代替施設が不足しておりますし、殆どのSTは親切に対応しておりますし、それに集まる皆さまは矢張りそれぞれの目的をもっています。いろいろ神経を使っています。

 それに、専門医がその障害部位を詳細な検査をすれば分かるようですが、実際のところ、一般的には脳出血等の脳血管障害による言語障害は、発症から日が浅い場合は、簡単に失語症と言ってしまうことが多いようです。従って、特に身体障害が酷い方の場合当事者がそれを自覚していない場合もあり得ると思っています。しかし、この違いも(無責任な判断と言われるかも知れませんが私の経験では)、ある程度時間が経過すると歴然と現れてきます。

 (失語症の検査については失語症を考え・語る.3で触れてあります。)

 親切な医師やSTであれば、家族等の関係者に説明がありますが、構音障害者には使用できる五十音表を使ったコミュニケーションは失語症者には不可能です
 単独な平仮名・片仮名(単音と言えるかもしれません)とその組み合わせによる単語との間にはある懸隔があります。
 単語が意味を持って成立するためには単音を接着する脳内に構築されたプログラムの鋳型が必要です。正常な人は成長に合わせていろいろな文化・情報等の経験・学習・「すりこみ」を行い、その内容のプログラムの蓄積が身に付いていくこと、つまり定着は、通常、極あたりまえの事です。

 この能力が損傷しているか否かが、失語症と構音障害と全く異なるところと思っております。失語症者はそれに苦労しています。

 ところが、この事をご存知でない方は障害者のなかの「言語障害の経過」を紹介する際にこれを失語症の最もよい回復の実例と誤解することがあります。特に、障害者交流会のような会では、回復は皆さまの目標ですから構音障害の方の経過報告の”回復”はとても目立ちます。構音障害の方にはご自分の後遺症に関し冷静に観察して発表しいると評価しますが、一方失語症の方には6年経っても7年経っても聞き難いお話ですからお聞きになってもあまり興味を示さないのは人情でしょう。

 構音障害の方は、濁音、切れ目に拘ります。
 失語症であれば、そのタイプによってそれぞれの症状があります。
 失語症であればそれに対面します。

 ジャルゴンは会うことは余りないようですが、よく見られるという健忘失語の喚語障害語健忘(無反応・遅延反応・迂言)錯誤(字性錯誤・語性錯誤)、新造語等、統語障害(失文法、錯文法)等の症状に出会います。
 つまり、失語症者に接していると、会話に限らず、メールとかメモにも必ず構音障害の症状の違いが出てきます。

 ダイレクトに申しますと、“外部に音を発するか否かにかかわらず、自分の内部で発音できない単語、文章は書けないということは誰でも判っている”、と云うことです。

 つまり、“自ずから判明する筈です”と云うことです。

 しかし、いずれにしても言語障害には変わりませんから、受け入り側は別けることは不可能です。

 実際、それぞれの会では構音障害の方が頼りにされていることが多いのです。例えば、ある会では、会計等の事務的な仕事をお願いしていますし、それが会の運営には必要になっています。また、ある若い失語症の会では、今年度会長に就任された方は、昨年副会長を引き受けたのときのご挨拶で、“私は構音障害で本来なら出ない方がいいと思いますが、…”、遠慮がちに役員会での推薦の経過を説明しました。私も、何度もお目にかかっていましたから、人望と云い、実績の点でも満場一致で決まったのは、寧ろ、会のため会員のために賢明な選択と喜びました。

 そんな訳で、長い年月で、主に指導的なSTや先駆的失語症者及び家族等の先人の努力と智慧を含めて定着しています。勿論、それの対するニーズがあったからです。
 しかし、既に過渡期ではないでしょうか。

 また、その流れに失語症者のみを受け入れている全国では数少ないデイサービスができました。

    はばたき 

    言葉の翼  : このデイサービスの管理者の方は私の言い難い失礼ないろいろな質問に真摯に応じて
             頂きましたが、その回答の一部が以下の通りです。

             @利用されている方は、一日10名です。月の延べ人数は先月で231名でした。
             
A全員介護保険での利用者です。
             
  要支援1.2・・・11名 要介護1/8名 要介護2/13名 要介護3/6名 
               要介護4/1名 合計39名
             
B介護認定を受けていない人はいません。
             
C協力団体はありません。スタッフががんばっています。
             
D居宅支援事業所の介護支援専門員を入れて会社としては管理者を入れて11名です。
             
E介護保険二号被保険者は11名です。
             
F「朝起きたとき出かける場所がある」「会いたい仲間がいる」「習いたいことがある」
               「自分のペースで会話ができる」の設立趣意書が基本理念でサービスを行っています。
               
今後の計画は、設立して5年になりましたのでマンネリ化しないよう職員の研修含め、
               利用者様も新しい事に挑戦しあきらめないでデイサービスに通所していただけるようにと
               考えております。また失語症も高次機能障害の方も長い時間のかかる病気です。
                閉じこもらないで多くの方に会って、自分が安心できる環境で、日々生活できることが
               一番だと考えております。社会人として時代を背負ってきた方々が、病気になって生活の
               再構築をしなければならない時、気持ちよく生活でき、ご家族を含め楽しい時間が
               数えられることを願っています。

     言葉のかけ橋

     ことばの泉住 :住所:590−0026 堺市堺区向陵西町4丁7−34

 このデイサービスは失語症者のみを受け入れています。

 しかし、真意を誤解されると困りますが、失語症者と構音障害者を同じ条件で行う言語環境の馴れ合い・凭れ合いは、決して失語症者にも構音障害者にもよいことではありません。

                ………………………………………………………………………………

 また、特定非営利活動法人全国失語症友の会連合会がその会のHP『ことばの海』に発表した、独立行政法人福祉医療機構の長寿・子育て・障害者基金事業助成金(一般分)による平成19年度事業:「失語症者のリハビリテーションと社会参加に関する第一次調査報告書」を読めばよく分かります。

 言語障害は常に失語症と構音障害は同列になっています。

 因みに、その中の一部抜粋しますと

 【 
 T.成人言語障害者を対象とする施設調査

  A 都道府県別言語聴覚士数

   …
 全体のST数は増加しているが、最多でも人口100万人当たり、200名弱(人口1.9名あたり1.9名)しかSTがいない状態では、失語症者30〜40万人、構音障害者で100万人ほどいると言われている成人対象のリハビリテーションを担うには余りにも少なく、今後更なる人材育成を行い、言語障害者への充分なサービス提供を日本全国どの地域でも格差なく充実させて頂くことが言語障害者全ての願いである。

  C 対象とする障害

 言語聴覚士が対象としている障害についての質問には、失語症1,267名、構音障害1,263名、摂食・嚥下障害1,209名、高次脳機能障害1,115名(重複有り)とほぼ同数の回答が有った。回答総数1,284施設の殆どで失語症へのリハビリテーションが行われていることが分かった。

  D患者・利用者の数(重複有り)

 2007年4月から6月までの任意の1ヶ月の患者・利用者数についての質問では、失語症者数は17,819名、構音障害者数は19,674名であった。回収率が20%程度だったことから推計すると、失語症者でリハビリテーションを受けている方は約9万人、構音障害でリハビリを受けている方は10万人程度と予想された。                 】


 そして、結論として < 今後に向けた提言 >の部分をお読み下されば、現況調査委員会が、全てその職務通りSTの立場で作った提言である事は明らかなことです。

 それは、STから見れば、失語症、構音障害、摂食・嚥下障害は共に対応すべき職務ですから対等に当たるのは当然なことですが、現場に廻ってみると高次脳機能障害である失語症者特性についてのもう少しの神経質な配慮が欲しいと思っております。

 何度も言いましたが、失語症には早口言葉の練習は必要ではなく、正確に確実の自分の言いたいこと伝えられればそれで充分です。ゆっくりと間をおいて喋るときには問題のない会話でも、時間で急がされると出るであろう考えや単語や文章が中断されることがあります。失語症は一つ一つの音(文字)の配列の紊乱が最も怖いのです。

 相変わらず、ある友の会の学習会で早口言葉がメニュウに載っています。

        ………………………………………………………………………………

 リハビリテーションは全ての障害でその必要が叫ばれていますが、高齢化による医療費の高騰、財政難で、医療費抑制政策の転換について、1983年、吉村 仁氏により発表された『医療費亡国論』が読まれているような昨今です。

 また、脳のリハビリは程度の差がありますから、一概には云いませんが、脳のリアビリは身体障害の数倍の時間を要します。勿論、150日で足りるものではありません。

 発症後の回復曲線の急なとき、つまり、人の障害程度・疾患部位等によって違いますが、記憶・思考等の定まらない1年位のときには手をとって個人的指導の有効は分かりますが、脳の細胞のある部位の壊死が再生不可能ですから、STの指導は、医師・OT・PTの治療と異なり、患者を化学的・物理的治療を施すものではなく、あくまでも当事者の内部の脳の可塑性の可能性を俟たなければなりません。

 それを推進することに優秀なSTの存在意義があると確信しております。
 ただし、組織の運営は別にして、失語症者にとっては優秀なSTが有名なSTとは限りませんし、有名なSTが必ずしも最も必要とする優秀なSTとは限りません。
 
寧ろ、饒舌な介入より沈黙のなかに自立力を育む包容力を求めています。

 従って、言語指導は代替機能を構築することに意味がありますから、もともと個人的に設定されるべきなもので、集団に行っても当事者にはそれぞれのパートナーが居なければならない筈です。
 し
かし、それも障害部位の大きさ、種類、年齢、体調等により違いますが、その可能性は極めて少なく、
 
社会復帰は若い方々の究極な課題になっています。

 いえいえ、これは若い障害者の方々だけの問題ではありません。年齢に因らず、不幸にも障害を受けてやむを得ず一線を退いた方が、生きている存在感をかけて更なる飛躍に向けて硬直した部位のリハビリの精進は、今の医療環境では終焉のない柵です。

   これは介護とは異次元の深刻な問題です

 この点こそ国は行政内の各部署を連携して手を差し伸ばして頂きたいと強く要望しております。

    それについて、高次脳機能障害としての失語症が解明された現在、私は何時も考えています。

    失語症者には支えてくれる家族は不可欠です。

    しかし、STの指導する友の会はあっても当事者と家族が“主体的に”活動する「失語症者と家族の会」が
    ないのです。

    「高次脳機能障害失語症者と家族の会」が成立・活動できれば
    より良い環境の構築に寄与できると確信しております。

    それは認知症の患者と家族の会でも最も注目されております。

………………………………………………………………………………
 

  此処で間をおいて追加文を挿入します。
          
       (09.1.25.)

………………………………………………………………………………

NPO法人設立記念 高次脳機能障害シンポジウムが行われました。

平成 20年 7月 6日(日)日本財団ビル2階大会議室

主催:NPO法人東京高次脳機能障害協議会(TKK)

助成:日本財団(このイベントは競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します)

後援:スウェーデン大使館 /東京都 /社会福祉法人東京都社会福祉協議会 /NPO法人全国障害者生活支援研究会(サポート研)/NPO法人日本脳外傷友の会/日本障害者協議会(JD)/認定特定非営利活動法人パイロット日本基金

プログラム

  13 : 10 〜 14 : 0 5 基調講演-1 福祉脳障害者支援

              ■グスタフ・ストランデル氏/ ( 株)日本スウェーデン福祉研究所取締役

  14 : 0 5 〜 15 : 0 0 基調講演-2「東京都の現状から考えること」

              ■渡邉修氏/ 首都大学東京大学院教授・医師   

  15 : 15 〜 16 : 45 パネルディスカッション・・・「いま、ほしい! 高次脳機能障害者支援」

 コーディネイター

赤塚光子氏/ 立教大学教授・N PO 法人全国障害者生活支援研究会会長

パネリスト

  ■グスタフ・ストランデル氏/ (株)日本スウェーデン福祉研究所取締役 

  ■渡邉 修氏/ 首都大学東京大学院教授・医師

  ■今井雅子氏/ 高次脳機能障害者と家族の会代表 、世田谷高次脳機能障害連絡協議会代表

  ■ 田辺和子氏/ 高次脳機能障害を考える「サークルエコー」代表

  ■ 細見みゑ氏/ NPO 法人東京高次脳機能障害協議会理事長

 このシンポジウムには、A4・88頁の資料があり、その中には、コーディネイターの経歴、基調講演の内容の資料や説明の主観点を抽出した図及び文章があり、参加者が分かり易い配慮がありました。

 渡邉 修氏の講演は高次脳機能障害全般に亘る内容と対策の内容でした。

 (その資料の内容をその詳細項目に私の判断で表示しました。)

  ・ 東京都の現状から考えること:高次脳機能障害者実態調査、ニュース調査から
  ・ 次脳機能障害の種類:注意障害、遂行機能障害、記憶障害、失語症、失認症、
    失行症、半側空間無視地誌的障害、半側身体失認、行動と情緒の障害、
  ・ 社会の関心:1996〜2008年7月13日
  ・  平成19年度高次脳機能障害者実態調査
  ・ 東京都の高次脳機能障害者総数推計(2008)
   ・ 東京都の高次脳機能障害者の年齢分布(推定)
  ・  急性期病院で“高次脳機能障害”の説明をうけましたか。現在、高次脳機能障害に関して
    医療機関を受診している方は80.3%(220人)その内訳
   ・ 診断基準
  ・  高次脳機能障害の診断を考える手順
   ・  細い血管の梗塞( 通枝梗塞)太い血管の梗塞(皮質枝梗塞)
  ・  脳出血
  ・  くも膜下出血
  ・  頭部外傷
  ・  植物状態患者はいつ目を覚ますのか
  ・  通院されている方198人の高次脳機能障害
  ・  通院されている方198人の行動と情緒の障害(家族からの指摘)
  ・  前頭葉の3つの領域と社会性
  ・  生存のための生物の基本行動
  ・  地域で活動をはじめたのは…
  ・  調布ドリーム・東京レインボー倶楽部の概要
  ・  プログラムの概要
  ・ すべての疾患に共通するリハビリテーションの流れ
  ・  高次脳機能障害に対するリハビリテーションの内容と流れ
  ・  ラットの実験:よい環境にすると‥
  ・  「ひと」という環境
  ・  必要として、繰り返し練習すると、脳はそのように、適応(変化)していく【可塑的に作りかえられる】
  ・  慢性なストレスの影響
  ・  精神科病棟に入院されている方への調査→81人
  ・  施設を利用あるいは家族会に所属する高次脳機能障害者274人の日常生活自立
  ・  発症前の就労経験、現在の就労状況、現在の就労群の内訳
  ・  脳外傷リハプログラム(神奈川リハセンター)

 パネリストの今井雅子氏 田辺和子氏 細見みゑ氏はともに病気や事故で重度の障害を受けたご家族を支え、当時余り知られていなかった高次脳機能障害に苦しむ仲間とその家族を励まし、その回復と社会復帰のために並々ならぬご努力とご指導を行ってきました。

 従って、その講演には実践に裏付けられた迫力ありがありました。

 今井雅子氏はその講演で、東京都高次脳機能障害者ニース調査、高次脳機能障害の原因疾患、家族会の活動と社会の動き、障害者自立支援法のよる高次脳機能障害支援普及事業、障害状況について(日常生活の自立性・活動性)、支援サービスの必要性度、相談支援機関に望む情報提供の内容、地域生活支援事業、家族から必要とする相談事業、についてお話をされましたが、東京都の調査の成果を紹介し、そのなかで東京都内の1年間の高次脳機能障害者の推定発生数約3,000人、総数50,000人に達していることに触れ、今後、ピアカウンセリングが如何あるべきかということがたいへんなことと思っています。”と遠慮がちに決意をお話をされたことが印象的でした。

 田辺和子氏は、氏のプロフィールによれば

 :次男が持病の喘息から低酸素脳症になり重度の高次脳機能障害となった。リハビリテーション病院からは受け入れられず、1年後、在宅生活へ。本人の活動の場を求めて、知的分野を様々な障害関係者に会ったことは、障害について考える大きな力になった。
 :1998年12月 3家族でサ−クルエコーを設立
 従って、サ−クルエコー、低酸素脳症への関心、障害者並びに低酸素脳症の自立、身体障害療護施設、知的分野、リハビリテーション病院の受け入れ、と実態経験に関する内容多かったと思いました。

 細見みゑ氏は、氏のプロフィールによれば

 :1997年、長男が交通事故に遇い脳外傷を負う。遷廷性意識障害が続く。半年後、意識障害を脱したが、不全麻痺他諸々の身体障害及び高次脳機能障害が残る。私自身は薬剤師。事故当時、勤務中であった。即、休職し長男の看病に当たっていたが退職。長男は懸命にリハビリに努めたが復学は叶わなかった。
 :2000年、高次脳機能障害若者の会を設立、現在は副代表。
 :2007年、NPO法人東京高次脳機能障害協議会を設立、理事長。

 …命さえ助かれば、元々丈夫な体だからきっと治るに違いないと信じて看病に明け暮れた。何度も容態が悪化し手術を繰り返した。命はとりとめたものの遷廷性意識障害が続き、あまりにも重篤で転院さえ出来なかった。高度先進医療により半年後奇跡的に遷廷性意識障害を脱した。しかし、脳損傷で意識障害の期間が長い程…の定説通り様々な障害が残り、元の学業に戻ることは叶わなかった。

 となっていますが、高次脳機能障害を世に広く知らしめたのは、経済の高度成長に伴う需要の増加に応えより急速に進んだ、モータリゼーションとそれに伴う重症事故の増加と医療対策の格段の進歩が、命は助かったが重い脳機能の後遺症に苦しむ当事者と家族を生み出したことでした。そのことよく知られています。
 会場で、資料として配布された、

A4100頁、
2007年度日本損害保険協会研究助成事業、
「脳損傷者の地域生活支援に関する研究」、
〜自分らしく、主体的な生活を実現するための課題〜、
特定非営利活動法人、全国障害者生活支援研究会、
主任研究者 赤塚光子

 という資料の赤塚光子氏の巻頭言の一部を引用しますと、

 「…いわゆる高次脳機能障害については、精神障害の範疇でとらえるとされてはいたものの、実際に提供されている福祉サービスに馴染まないことも多く、いわゆる制度の狭間に置かれていた人たちが多かった。高次脳機能障害のある人たちへの先駆的な支援実践が国内でも開始されてきてはいたのだが、それは家族や支援者側の意識の高い地域に限定されおり、どこでも支援が受けられる状況からはほど遠い時代が長く続いていたのだ。…」

 パネリストの方々は高次脳機能障害者の苦境に対して人間であれば人間らしく生き抜く為に立ち上がった気概と指導力、そして何より家族への愛情に満ちている方々であることは言うまでもありませんが、赤塚光子氏の云われる通り、東京都を“家族や支援者側の意識の高い地域に限定され”るよう努力された功績は多いと思っています。

 依って、細見みゑ氏は、赤塚光子氏のいわれる通りの困難な状況を、「高次脳機能障害者及びその家族の人権と尊厳が守られ、安心して生活できる社会の実現」が私達の願いです…(TKK定款)を、ハイリアの紹介とその活動、ボランティア講座、高次脳機能障害の在宅生活実態調査等で講演されました。

 なお、東京都の『高次脳機能障害の理解と支援の充実をめざして』という内容は東京都福祉保健局東京都心身障害者福祉センターのホームページの【とうきょう高次脳機能障害インフォメーション】に載っております。
その中には失語症と構音障害の違いも説明してあります。

    NP0法人東京高次脳機能障害協議会(TKK)五ヶ年事業計画
   (於:2008年7月6日NPO法人設立記念 高次脳機能障害シンポジュウム)

   【東京都高次脳機能障害支援普及事業イメージ図】をご覧下さい

 洞爺湖でのサミットで道路では厳めしい警官の車の検問がありあまり人影のまばらな静かな赤坂虎ノ門外堀通りでしたが、その通り沿いにある会場は熱心な交流が行われていました。


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