今回の高橋さんの四国旅行の計画が9月13日の朝日新聞の14版第2東京の『いのち』に載りました。
 以下、その内容を掲載します。
 自分にハードル歩いて四国横断

  2007年09月13日

 2度の脳内出血で左半身がマヒし、歩くことや話すことが不自由になった高橋良三さん(60)=世田谷区桜丘2丁目=が13日、四国を横断する約300キロの旅に出発する。最初の出血後、自転車による日本縦断に成功。2年前に再び倒れたが、つえなしで歩けるまでに回復した。歩く速さは時速1キロ前後。「自分が設定したハードルを、自分のやり方で越えてみたい」と話している。

  (寺下真理加)


 電子楽器メーカーに勤務、営業や海外出張に明け暮れる日々を送っていた。90年3月、42歳の時にドイツ、フランスへの出張後に立ち寄ったイタリア・ベネチアのホテルで倒れた。2カ月余り現地で治療を続け、車いすで帰国。最初は左半身に力が入らず、座っているだけで汗だくになった。


 「もう治らない」と言う医師もいたが、別の医師の指導で集中的なリハビリを行い、数日で歩けるようになる回復を見せた。「1日に10キロ歩く」と宣言し、夏の炎天下でも病院の運動場を毎日25周歩いた。自分に課した最初の「ハードル」だった。

荷物は最小限に。高橋良三さんはリュック一つで旅を続ける予定だ
95年、自転車で日本縦断に挑戦し、鹿児島県の佐多岬に着いた高橋さん

 10月に退院した後、元の仕事に復帰。マヒの残る体で働いた。


 「自分は障害があっても生きられる。何かを達成できるんだ」。そんな思いに駆られ、95年に会社を辞め、自転車で北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬まで、日本縦断の旅に出た。左足をペダルに固定し、ブレーキを右手で操作しながら、69日間で約3千キロを走破した。


 その後、独立して楽器音響機材の営業の仕事をしていたが、2年前、車で打ち合わせに出ようとして、事務所の駐車場で再び脳内出血で倒れた。救急車の中で、「今度こそ死ぬんだ」と覚悟したという。


 幸運にも命は助かったが、マヒはさらに重くなった。言葉の滑舌や食べ物をのみ込むことにも支障が出たが、ゆっくり足元を確認しながらバランスを取って歩くことはできる。


 靴が合わずに足先が血豆だらけになり、傷から細菌が入って高熱が出たこともあったが、最近は、自分に合う運動靴を探し、体の左右の振れを最小限に抑えることで長い距離を歩けるようになってきた。


 今回、四国を旅するのは、日本縦断の時に四国には立ち寄らなかった心残りがあるからだ。リュックの荷物は洗面用具など最小限にしたが、左足を支える装具を付けたまま靴を履くので、靴擦れの心配は残る。その日の宿は、地元の人に尋ねながら探していく。夜になっても宿に着けない時は、バスやタクシーでの移動も考えている。「無理はしない。楽しみながらやりたい」


 6月で還暦を迎えた。倒れてから20年近い歳月は、「あっという間」だったという。いまも、勤めていた会社の仲間とは交流が続いている。広告会社に勤める親友は滑舌に障害のある高橋さんのために、旅先で出会う人に配れるよう、高橋さんのこれまでの人生と旅の目的を説明する小さなリーフレットを刷ってくれた。


 13日に東京を出発して高松市に入り、準備を整えて16日に旅を始める。目指すは約300キロ先の高知県宿毛市。1日8〜9時間、10キロのペースで歩き続ければ10月15日に着く計算になるが、「何日かかっても歩き続け、とにかくゴールまでたどり着こう」と考えている。

戻る
トップに戻る