9月6日(土)、大田区立生活センターで「高次脳機能障害者と家族の会」の交流会が行われました。そこでそれぞれ自己紹介を兼ねて近状報告がありました。
 現在60歳、発症年齢43歳で、疾患は「クモ膜下出血」と言われましたが、一見元気そうに見える男性Tさんにお会いしました。

 ここで始めてTさんの奥さんからご主人の病気の内容とその後の経過をお聞きしたのです。高次脳機能障害は一般的には脳外傷による若い方が多いと言われていますので、Tさんの後遺症が失語症、地誌的障害等に亘る厄介な症状をお話されました。

 奥さんのお話に失語症のことが出ましたので、私は会の終った後、Tさん夫妻に詳しい状況をお聞きしたいと行きましたところ、失語症はあまり問題はないということで特に地誌的障害について話されました。歩行には余裕があるので何処にも行けるが街の出かけて通りを右と左を間違えるともう帰れられないとのことでした。

 いろいろとご苦労をお話になりました。

 私は高次脳機能障害の「斑(まだら)現象」を感じました。
 それは私にとって他人事ではありませんでした。

 その後、「高次脳機能障害者と家族の会」の機関誌、「こーじ通信NO.47」に載りましたTさんの手記は、息子さんの結婚式に正装に威儀を正すモーニングと留袖のご夫妻の写真がありました。




Tさんの手記
 今から15年前主人が43歳の時でした。
 楽しかったお正月も過ぎ、仕事始めの日に仕事中にくも膜下出血でと倒れました。
 日頃健康で休日はいつも地域の少年野球の代表、監督としてグランドを元気に走っている人が『何故』と信じられませんでした。

 しかし、手術後は順調に回復し、後遺症はてんかん発作がありましたが、半年で職場に復帰できました。その後何も起らず安心していましたが、平成13年に痙攣重積で緊急入院を与儀されました。暫く入院していましたが、何かいつもと違う言動が沢山あり不安に思う日々でした。

 その時は、まだ高次脳機能障害の意味も知らずただ驚くばかりでした。

 退院後はインターネットなどで色々調べ、数箇所の病院で検査してきましたが、本人が家具職人なので現場に従事することが、一番のリハビリになると言われ直ぐ復帰しました。

 しかし、記憶、遂行、地誌の障害がひどく仕事はほとんど出来ず、周りの方にはご迷惑をかけてしまいました。

 その後3年位で会社も閉鎖になり、現在は近くの作業所に通所しています。痙攣は時々起りますが、精神的には安定しています。

 昨年、長男の結婚式で無理と思っていた謝辞も一人で述べることが出来ました。本人の自信にもなったと思います。が、一週間もしないうちに、息子の部屋をノックして気配がないと『今日は帰りが遅いねー残業かな?』と私の顔を覗き込み、反応がないと多分途中で気が付くでしょうね。一人で苦笑しています。

 こんな日々の生活ですが、これからも無理をせず、スローな人生を歩めたらと、思っております。



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